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もっと身近な鉄道を目指して

IGRいわて銀河鉄道株式会社
代表取締役社長     康揮 さん(61)

地方人口が減少し、大都市集中の加速化が進んだ平成が幕を下ろし、新たな時代の幕開けとなりました。そんななかで地方活性化に欠かせない企業の代表とも言える「IGRいわて銀河鉄道株式会社(本社盛岡市青山町)」において、間もなく社長就任一周年を迎える浅沼社長に、ご自身のことや会社の展望などについて伺いました。

害被災地で陣頭指揮の経験も

 浅沼社長は盛岡市天神町に生まれ、高校までを過ごしました。幼い頃は近所にある天満宮で遊び回る、ごくごく普通の子どもだったそうです。中学高校時代はテニスに明け暮れ、高校二年生の時にはインターハイ県予選団体戦で優勝という輝かしい戦績を納めるほどの腕前でした。東京の大学に進学した後は「人混みを見てうんざりした」こともあり、地元へ戻ることを希望。父親が県職員だったことも手伝ってか、同じ県職員の道へ進んだそうです。
 岩手に戻り二戸市の「カシオペア連邦」の立ち上げや、一関市で子育て支援などに従事しました。流通課で課長職に就いたときは、県農林水産物を海外へ輸出するため、海外へ幾度も売り込みに行ったことも。
 県庁の人事課長に就任したその年度末、新人事の内示当日に東日本大震災に見舞われ、人事を一時凍結。連日人事異動や組織変更の対応に追われました。その経験を買われ、盛岡局長だった平成28年に発生した岩泉町の台風10号災害では単身被災地入りし、陣頭指揮を任されるなどさまざまな分野で功績を残しました。

「東京の大学に行ったこと、海外へ行ったこと、災害対応をしたこと、こうした全てが今に生きている」

と浅沼社長は語ります。

IGRの仲間で岩手山に登頂した写真。チームの表情も明るい

域、客層に合ったサービス向上を

浅沼社長はその後、県職員を退き一年間の専務取締役を経て、昨年6月に社長に就任しました。会社の印象を尋ねると「若い社員が多くて非常に活気がある」と分析しています。関連事業も含め、どこを見ても元気があると言います。利用状況は微増ではあるが、利用者は確実に増えていることから「地域に必要とされている」と浅沼社長は考えています。現在は一万四千人の利用数があり、その人たちの足として着実な運用を実践する使命があると力を込める社長。
 現在の課題は

①ニーズを掘り起こし、それに合わせたダイヤ編成
②人口減少が顕著な県北エリアの利用向上、高齢社会への対応

この2点を掲げています。
 「これまでは学生の通学に主眼を置いていたのですが、そこに加えて年配の方も利用しやすい鉄道に育てることも大切です」。そうした思いから、沿線の自治体やJRとの連携も積極的に取り組んでいます。居住人口には限りがあるが、交流人口に限りはないと信じて、今後の県北エリアを盛り上げる意気込みがヒシヒシと伝わります。

H15からH30までの乗降人員推移(1日平均)、着実に乗降人員を増やしていった地道な実績が伺える

 

「私たち鉄道業はいつ何時、呼び出されるかわかりません。
多くの社員が365日24時間体制で、安全輸送のために備える必要があります。
それを徹底できなければ、お客様にお答えしたことになりません」


そうした厳しさの中で、地域振興も同時進行で考える大変さもあります。開業以来大きな事故もなくここまで来られたのは「社員たちによる日々の努力の賜」と熱く語る浅沼社長。

 そんな浅沼社長は社長室のドアをオープンにし、社員が発言しやすい環境作りにも気を配っています。「せっかく若い社員が多いのだから、意見をどんどん聞かなければ勿体ない」からだそうです。社長自身笑顔でいることが多く、周りにもたくさんの笑顔の花が咲いています。「風通しが良い会社ですので発言する気にもなりますし、先輩も耳を傾けてくれるんです。とても働きやすいと感じています(総務部・赤坂千晴さん)」と社員の声も聞こえるほど。

 社員の声に耳を傾け、安全輸送と客層にあったサービス向上のため、今後もさまざまな取り組みを考えていくと胸を張る浅沼社長。

「もっと身近にIGR」をモットーに、地域に愛される鉄道の維持を目指す


そんな力強い言葉で浅沼社長は締めくくりました。
◆プロフィール

浅沼 康揮さん

1958年盛岡市生まれ。盛岡一高を卒業後、東京の大学に進学。卒業後に県職員として岩手に戻り、事務人事畑を渡り歩く。趣味はテニス、登山、釣りなど多数。お酒も好きで、はしご酒イベントを探して参加するほど。好きな言葉は「想いを形に、地域を元気に」。



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