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信頼される地域医療の実現を

世の中の高齢化が進み、医療に頼る機会が増加する現代。そんな社会構造の中で地域住民と地域医療の信頼関係強化に臨む、「一般社団法人岩手県医師会」の会長に昨年6月に就任した小原会長から、今後の地域医療に対する考えや展望についてお話を伺いました。

課題として掲げるかかりつけ医の充実

「医療界は財源確保が困難な状況にあり、医療費抑制が避けられません。そのような状況下で地域住民と信頼関係を築き、医療政策を進める若い世代の育成が大切だと考えています」と目標を掲げています。

 以前より医師不足が叫ばれ、同時に世の中のグローバル化に伴い、風土病が輸出入されるなど医療を取り巻く環境は、ここ数年で大きく変化しています。当然のように医療技術や知識は高度化を求められ、一人の医師の負担は年々膨らみ続けている状態です。ある調査では医師が一人の患者を診る時間は、平均で3分29秒という統計も出ているほど、患者と向き合う時間が絶対的に足りないと言われているのです。

 そこで小原会長は第一に「かかりつけ医の充実」を課題として掲げています。

 「小さな疾患や定期受診に対して、受診先がわからないなど、多種多様の患者の相談に医師は対応しなくてはいけない。総合病院なんかは常にパンク状態。だから交通整理の役割を担う、かかりつけ医が大切になってくるのです」と小原会長は説明してくれました。もちろんそのために専門外の勉強も強いられるため一時的な負担は増えますが、かかりつけ医が定着してくることで余計な負担は軽減してくると考えられます。  かかりつけ医は日本医師会が定める国の認定制度で、所定の研修を終えた医師が名乗ることができるそうです。刻々と変化する医療の世界で、こうした医療改革を進め医療と住民の信頼を得るために、医師会は常に考えなくてはならないと言う小原会長。

「医療の現場では特に、人と人のつながりが一番大切なんです」。

定期検診を受け生活習慣病の軽減を

地域住民との信頼強化を強く掲げる小原会長の、原点とは一体どこにあるのでしょうか。小原会長は和賀郡和賀町の生まれで、父は町に一軒の開業医だったそうです。幼い頃は医師よりも考古学者になりたいと、近所で石器や矢尻を拾い集めていました。

 「親父は決して口にしなかったけど、周りから跡を継いで医者になれといつも言われていた」そうです。

 地元の小学校を卒業後、盛岡の中学高校から岩手医大に進学。争いごとが嫌いな性格で、周囲の声に従うような形で医師の道を歩みますが、ここで小原会長は泌尿器科へ進むという小さな反抗をしてみせました。泌尿器科を選んだのは「田舎へは戻らない」ということを意味したのです。

 「当時は小さな町で泌尿器科を開くなんてあり得なかった」そうで、岩手医大の泌尿器科で勤務医として働きました。その後、岩手県立中央病院や八戸赤十字病院を経て、まだ珍しかった透析治療が可能だった三愛病院の初代副院長に就任しました。

 やがて透析治療の空白地域だった花巻市で開業したのが、昭和50年。同市を始め遠野市や宮守村、石鳥谷町、東和町など、周辺のエリアにも対応出来るよう、送迎バスを走らせました。

 「透析の治療は体力的な負担が大きかったから、送迎が必要」患者のニーズに応えるような形で開業し、常に患者と向き合ってきた小原会長だからこそ、地域医療について思うところが大きいのかもしれません。

 「自分が子どもだった頃は父が往診に出かけ、帰りは夜中になることも。そうした背中を見てきたから責任感を植え付けられたと思います」と回顧します。患者の健康と命を守り、治療が終わった時に感謝の言葉をいただくと、「医者冥利に尽きる」のだそうです。

菜園にある岩手県医師会館

 特に高齢化が進む今後は「健康寿命の延伸」を目標に、医師として医師会として啓発活動にも力を注いでいくと語ります。健康診断の受診推奨や生活習慣病のリスク軽減を目指して、元気な年配者を増やしていこうと取り組んでいます。

「今では早期発見ができればがんも治る病気。
年に一回の健康診断を必ず受けて欲しいと思います」。

 人生100年時代を見据えて、岩手県医師会は理想的な地域医療の実現に目を向けているのでした。


—–・・・・・———-プロフィール———-・・・・・—–

 一般社団法人 岩手県医師会会長  
小原 紀彰
さん

 1943年岩手県北上市和賀町生まれ。
岩手医大を卒業後、勤務医を経て1975年、花巻市で泌尿器科を開業。
 花巻市医師会副会長、岩手県医師会常任理事・副会長などを歴任し、
2018年に岩手県医師会会長に就任。
 争いごとが苦手な反面、学生時代は氷上の格闘技アイスホッケー部に所属。

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