新着ニュース

人の支えに感謝して

岩泉といえば日本三大鍾乳洞の龍泉洞が有名ですが、今や龍泉洞と肩を並べるほど有名になっている名産品が「岩泉ヨーグルト」。その岩泉ヨーグルトを製造・販売しているのが岩泉ホールディングス株式会社代表取締役の山下欽也社長です。

◇ 地元で暮らしていく決意をもった幼少期 ◇

岩泉町下有芸の酪農家に生まれた山下さんは、物心ついた時から自然と牛に触れて育ちました。「叔父が大工だったこともあって、小さい時から友だちに刀やソリを作ってあげていましたね」と山下さん。 中学卒業までは乳牛の乳搾りなど家業の酪農を手伝いながら勉学に励み、高校に進学と同時に岩泉町内へ下宿。そんな高校生活中に父親が他界します。 「父は人を使って山仕事をしていたのですが、私が16歳の時に事故で急逝してしまいましてね。3人姉弟の長男で、12歳離れた弟もいたため、地元で働こうと決意しました」と山下さんは語ります。

◇ 酪農から地域産業へ未来を担う務め ◇

 岩泉で働くことを決めた山下さん、畜産の町で家畜人工授精師の資格があれば職に困らないと思い、岩泉高校を卒業後は金ヶ崎にある県立六原農場に進み資格を取得します。その後、地元のJAへ就職し、働きながら実家の酪農を手伝うようになりました。JAでは主に畜産関係の指導をしていましたが、時代とともに酪農家が減っていき、入社時には200強もあった酪農家も今や22戸に。酪農が厳しい時代に、山下さんも仕事と酪農の両立が厳しくなり、家業をやむなく廃業してしまいます。

 しかし、47歳の時に転機が訪れます。「岩泉町で安定した産業の確保の為に『基幹産業である酪農の6次産業化を目指す』という話があり、畜産に詳しい人が欲しいと岩泉乳業から声をかけてもらったんです」。

 岩泉乳業に入社後、山下さんは変わりゆく岩泉町の経済を担う産業に進むことになります。

◇ 岩泉から日本全土へ夢の結晶は世界へ ◇

 岩泉乳業に入社した山下さん、平成21年に社長に就任してからは主力商品を加工品のヨーグルトへシフトチェンジ。「消費者に良いものを届けるため、製造法にこだわって品質をとにかく追及しました。中小企業が大手と同じものを作っても厳しいとも感じていました」と当時を振り返ります。さらには「営業がいなかったため自分が全国を飛び回っていましたが、乳業業界を知らず固定観念がなかったのが良かったのかもしれません。結果、色々な販売ルートが開拓でき、徐々に岩泉ヨーグルトの名前が全国に拡がってきました」と笑顔で話します。

 しかし、社長就任から7年が過ぎた平成28年8月30日に台風10号豪雨が岩泉を襲います。「その日、私は出張先にいたのですが、そこから2日かけて戻り惨状を見た時には『終わったな』の一言でした」。自暴自棄に陥っていた中、山下さんを支えてくれたのは、全国のお客様だったといいます。「全国から励ましや応援のメッセージを千通以上もいただきました。義援金もすぐに一千万円を超えて、全国からたくさんご支援も届きました。一つ一つの温かい励ましに支えられていると感じ、一生懸命やってきてよかったと思いました」。

 山下さんは工場が復旧するまでの間は社員を解雇しないことを宣言し、ボランティアに参加してもらいました。

「お金のことが心配でしたが、運が良かった。
豪雨被害の2カ月前に商品化した化粧品が流されずに残っていたんです。
それを関係業者さんたちがパッケージがダメになっててもいいからと買ってくれた。
本当に涙がでました」。

モンドセレクション授賞式の様子

 そんな全国の支えに国も町も動き、同年11月には工場再建の目処が立ちます。復興してからの歩みは特に早く、今や人気は、日本にとどまらずモンドセレクションを幾度となく受賞するまでに。「授賞式には一緒に頑張ってきた社員も数人連れて一緒に壇上に上がります。『いつかは自分も』や『こんな先輩になりたい』というモチベーションと誇りを持ってくれています」。

 「人は誰しも悩みを抱えますが、そこで悩んで落ち込む方と、解決をして喜びを得る方がいると思います。その先には必ず光があると意識して前に進んで欲しいなと思いますね」

山下さんの経験と人柄の先にはまだまだ大きな光がさしています。


岩泉ホールディングス株式会社代表取締役
山下欽也さん(63)


1956年10月4日、岩泉町生まれ。
平成16年岩泉乳業入社、平成21年同代表取締役社長就任。
ここ10年間、昼食には必ず愛妻おにぎりとグレープフルーツ。
趣味はトライアルバイクで東北の大会にも参加経験あり。
今はアメリカンバイクに乗り換え、休みにはバイクを磨き、ツーリングに出るとか。
岩手食文化協会 副会長

関連記事

ページ上部へ戻る