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危機感を持つことが活力源

料理研究家 小野寺 惠 さん(60)

 盛岡市向中野の教室から聞こえてくるのは、楽しそうに製パンを受講する声…。開設から29年目を迎える「小野寺惠パン洋菓子教室」は、これまで延べ1000人以上の生徒が通う教室となりました。

 子どもの頃からゼリーやババロアといった菓子づくりや料理をするのが好きだったと話す小野寺惠さん。お稽古ごとの一環として中学2年から料理学校に通い始めると、すっかり食に魅了されていきました。

稽古の一環が生活の糧に

 「母は服のデザイナーをしていましたが、『命を守るのは食だから、食の道へ進んだほうがいい』と言われて」と惠さん。祖父母も両親も震災を経験していて、家族で食事のときにでる話は、いつも被災や戦争、危機管理の話。「いろんな物を持っていたとしても震災などでなくしてしまうことがある。身体と心を丈夫にしておけば、またなんとか元に戻ることができるじゃないですか。そういった体験が根底にあるから〝食の道へ〟と母は私に言ったのだと思います。いつ何が起こるかわからないと思っているからこそ、私はすごく働くのかもしれない…」という惠さん。今も常に頭にあるのは家族と過ごした時に聞かされてきた〝危機管理〟の術だと話します。

 学生時代に東京で大手アパレル会社のバイトを積み、大学卒業後はその企業へ就職。デパートや百貨店を500店舗も歩き、価値観も金銭感覚も異なるさまざまな人と出会いながら、どの地域でどういうものが売れていくかをキャッチする力を養ってきた惠さん。その才覚は、のちに食の道へと生かされていくことになるのでした。

これから先は地域へ貢献

パン教室では、無添加でおいしいパンを誰でも簡単に作ることができます

 結婚、退職、出産を経ながらも、パン作りや料理、フラワーアレンジメントなどは習い続けていたと話す惠さん。なかでも料理は格別で、「世界にひとつのオリジナルを生み出すのが楽しくてしかたないから好き」とにっこり。東京では食や生活にかかわる活動やテレビ出演を意欲的に展開してきたこともあり、その頃から岩手には既に仲間の輪が拡がり教室を開くための地盤ができていたとのこと。その後、惠さん一家は岩手で独り暮らす祖母の元へと転居。すると、待ってましたといわんばかりに教室開設を切望する声があがり、岩手に来てまもなく食に関わる仕事を開始、わずか3カ月で100人もの受講生を指導するまでになっていました。留学経験も多数で、学び続けたこれまでの人生経験を表すように、今ではたくさんの肩書が連なるまでに。

物はなくなる事もあるけど、勉強して身に付けた事は死ぬまで宝。
私はまだまだ勉強を続けているので、ずっと経歴が増えていくわけです。
やらせてくれる周りに感謝です。

 シニア世代に突入してからますます多忙な日々のなかで気をつけていることは、「食事の管理、寝ること、怒るとエネルギーを使うのでむやみに怒らないこと、そして、よく笑うことと毎朝ラジオ体操を行うこと」という惠さん。「シニアが楽しく生きていくためには、自分の身体の管理をしっかりすることが大事です。そのためにも今の自分に合う食の勉強をすることが必要。日々笑って暮らすためにもぜひ実践してほしいですね」。

 よりたくさんの人に食の大切さを伝えていくと共に、今後は〝岩手の食材を活かした健康志向の食づくり〟へも意欲を見せています。


料理研究家 小野寺 惠さん(60)



1959年生まれ。東京都出身。現在、盛岡市在住。世界で最も優れた料理学校と言われる「ル・コルドン・ブルー」で製パン技術を習得。フランス菓子界の巨匠・弓田亨氏や日本洋菓子界の第一人者である今田美奈子氏に師事。盛岡市向中野の「メグミキッチンスタジオ」をはじめ、テレビ・新聞などメディア、県や市町村での指導などマルチに活動。地域の商品開発も手掛けている。今ハマっているのは家の片付けと岩盤浴。

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