新着ニュース
7.22020
創り楽しむ

(画像右上から)
藤村 均さん、古里 正博さん、阿部 富夫さん(69)、中村 喜一さん、阿部 リナさん
穴沢 るい子さん、芦興 霞さん、高橋 紀久子さん、犬川 けいるさん
貧しいなかでも楽しんで
晴天の空の下「やっぱり山は気持ちがいいよね」と笑顔で話すのは、いわて山の会会長の阿部富夫さん。
阿部さんは盛岡で百姓の息子として生まれました。当時のことを伺うと、「子どもの頃は、貧しかったから、小遣い稼ぎに必死でした」と振り返ります。
子どもの頃は農家だったこともあり、よく山に散歩に行っていました。山菜が売れるのではと思い、ガキ大将だった私は、仲間を集め、みんなで山に山菜をとりに行き、朝市で知り合いに売って貰っていました。慣れてきた頃には川にうなぎなんかを取りに行ってたりもしていましたね。いい時は100円にもなり、今で言うボーナスのような感覚で、みんなで喜んだのを覚えています
その後、商業高校を卒業して、東北学院大学に入り、東京の会社に勤めます。東京時代は、働いていた会社の先輩が新しい会社を立ち上げるので来ないかと誘われ一緒に立ち上げを行ったこともあったとか。
しかし、3年で辞めて「自分でやってやる」と盛岡に帰郷します。働いていた会社がたまたまブライダルの仕事をしていたこともあり、そのノウハウで有限会社装美を立ち上げました。今では東北に販路を拡大し、なんと44周年とか。
さりとて、その道中は決して楽ではありませんでした。「ないものは作る、探す」と言う阿部さん。顧客を思う一方、無理が祟り29歳で倒れ、さらには31歳で手が痺れ再度倒れます。
さすがにこのままではいけないと思った阿部さんはそこから健康管理のために何ができるかを考え、運動を始めるようになりました。
山登りが好きだったから
「倒れたことで健康への関心が上がりました。これはまずいなと思って体を動かすために朝野球のチームを作って野球をしました。しかし、40代をすぎた頃から野球もキツくなってきた。そこで考えていた時に出てきたのが山登りでした。子どもの頃に山によく行っていたのを思い出し、山が好きだったんだなと」子どもの頃の山での思い出を振り返ります。
さっそく周りの人を集めて会を作ろうと思った阿部さん。最初は知人や友人を集めて4、5人で山登りを始めました。そこで名前をつけようと言ってできたのが「いわて山の会」だそう。

始めた時は人が少なかったのですが、人が人を呼び今では20人程度の会になりました。うちの会はゆっくり話しながら楽しくがモットー。お昼もすごいんですよ。そこらへんの料亭のような料理が並びます。みんなリュックによく入れてくるなって。会として遠征もしていまして去年は鹿児島に行って海抜0mからの登山を楽しんだり、カナダやヨーロッパの山にも行きました。会報も出していてその時に登れなかった人も1年を通して共有しています
参加している中村さんも「山岳部から始まって昔は日本中ガツガツと登っていましたが、最近は楽しく登れればなと。会には78歳の元気な人もいて、自分よりも元気です」と話します。
楽しんで欲しいといろいろな工夫をしている阿部さん。今後の楽しみと抱負を聞いてみました。
「山にはいろんな楽しみ方があります。その時期の花を楽しんだり。話を楽しんだり。体を動かすこと自体を楽しんだりと多種多様です。何より笑顔で話をして楽しむことですね。私は25年続いていますが、あと11年は頑張りたいですね。皆さんもやりたい会を作って活動してみてください」と笑顔で語ります。
1998年「いわて山の会」として発足、活動を始める。中小企業同友会の理事をやっていたこともあり、そこのメンバーで4、5人からスタート。人が人を呼び現在は約20名程度に。興味のある方は(阿部090-2792-0242)まで