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物心両面の幸福を

株式会社三協メディケア代表取締役会長 齊藤哲哉さん(69)

 盛岡市六日町(現在の肴町)で、医療器械店を営む両親の元に生まれた齊藤哲哉さん。3人の姉がいる末っ子長男として可愛がられ「大学までなんの苦労もなく健やかに育った」と話します。

家業を引き継ぎ29歳で社長に

 子どもの頃から「家業を継ぐ」ことを意識していた齊藤さんは、父親の母校でもある盛岡商業高校を卒業後、横浜商科大学に進学。一度企業に就職し、経験を積んでから実家に戻る予定でしたが、大学在学中に経理担当だった母親が体調を崩したことから、卒業と同時に帰郷。営業担当として家業に従事しました。

「私が働き始めて数カ月後、母が54歳の若さで亡くなりました。胃潰瘍を繰り返し、最後は胃ガンで。人生最大のショックでしたね。楽天的な父に代わって苦労を抱えていたようなところがあったので〝母は仕事に殺された〟と思いました」

 社長でもある父親に複雑な思いを抱きながらも「営業の仕事は楽しかった」と齊藤さん。「自分が納品した器械や材料が病院の医療活動、ひいては患者さんの命と健康を支えている。我々も医療の一端を担っている、という自負がモチベーションの源でした」と話します。

 そして母の死から7年後、父親も逝去。ほどなく齊藤さんが2代目社長に就任。29歳の時でした。

「同世代の社長は周りにいない。気恥ずかしくて〝出先では社長と呼ばないでほしい〟と社員に頼んだりしましたね」と苦笑いする齊藤さん。「売上を上げればよかった」営業時代から立場が変わり「社長の立場になって初めて父の苦労を知った」と父の背中を振り返ります。

特に、昔ながらの商売の仕方が染み付いているベテラン社員とは、方針の違いでよく衝突しました。
私が子どもの頃から働いているような人たちなので。
今まで通りではいけない、というのを理解してもらうのが難しかったです

介護事業で「社員の幸福の追求」をめざす

 社長に就任した1980年代、医療業界は「景気に左右されない」と言われ、好景気も相まって経営は安定していました。しかし、90年代に国の医療費抑制策がスタート。まず薬価が下がり、県内の薬卸業者は合併統合を余儀なくされます。

「医療機器もいずれ値下げ競争になる」そう考えた齊藤さん。ちょうどその頃、病院などの取引先から介護用ベッドやオムツなどの問い合わせが来るようになったこと、介護施設の経営に関わる医療法人が増えてきたことから「これからもっとニーズが高まる」と、介護業界へ参入。1993年、介護用品会社サンメディカルを設立します。さらに2004年には、盛岡市向中野にグループホーム「みんなのいえ」を開設。新築で完全個室、冷暖房完備の施設は当時珍しく、見学会の反響も上々でした。

親を施設に入れるなんて、とネガティブに捉えられていた時代。
利用者だけでなく、その家族も〝ここなら自分も入りたい〟
と前向きに思ってもらえるような、居心地のいい施設をつくろうと思いました

適合高齢者専用賃貸住宅あったかいごレジデンス東安庭の外観

 現在は、盛岡市を中心に県内外16カ所の介護事業と3つのフィットネス、アスクル事業を運営。「いまは岩手の現状を考えて、訪問看護により力を入れています。よいサービスを提供することでお客様に喜んでもらえるし、社会的なニーズもある。やりがいと収益が両立する、すばらしい仕事」と話します。  

そんな齊藤さんが、経営の理念に掲げているのが「全社員の幸福の追求」。

「社員が物心両面で満たされ、安心して働くことができれば、仕事の質も上がり、お客様の満足にもつながると思うんです」と齊藤さん。経営者として「公明正大に仕事をしてきちんと利益を上げることが、社員の生活を守り、顧客へのより良い循環を作っていくと考えています」。一方、「幸福を感じるための心の持ちよう」を伝えたいと、自身のフィロソフィー(哲学)を綴ったものを、給料袋に毎月同封しているといいます。

「人間関係などでうまくいかなかったり、ネガティブになっているとき、こう考えて気持ちを整理してみよう、みたいなことを書いています。すぐに効果が現れないかもしれませんが、ふとしたときに心を軽くできたらいいと思っています。社員から〝読んでますよ〟って声をかけられるとうれしいですね」と笑顔をみせます。


株式会社三協メディケア代表取締役会長
齊藤哲哉さん(69)

1951年生まれ。盛岡市出身。盛岡商業高校、横浜商科大学卒業後、両親が営む「三協医科器械商会」入社(1977年に株式会社に改組)。
1980年、同社代表取締役就任。2015年より、医療機器・材料の販売、高齢者介護施設の運営、フィットネスクラブ「カーブス」の運営などを手がける「株式会社三協メディケア」の代表取締役会長

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