アメリカから帰国後「国際的な仕事に就きたい」という思いを確かにした達増知事。アメリカ大統領の補佐官を務めた国際政治学者・キッシンジャーやブレジンスキーに憧れ「国際政治を学ぼう」と、東大法学部への進学を決意します。
「他の大学では、法学部と経済学部は全く別のものとして位置付けられている場合が多いのですが、東大は法学部にも政治経済の授業があるんです。興味のある政治経済と、社会に出て役立つ法律のどちらも学べるのがいいなと。また東大は有名な教授がたくさんいるので、一般教養課程でさまざまな授業を受講できるというのも魅力でした」
しかし、志望校を決めたのは高校3年生の1学期。受けた模試はほとんどがC判定という結果。無謀だという先生もいましたが「一度B判定を取ったことがあったので、可能性はまだある、と思った」と達増知事。過去問を徹底的にこなして傾向と対策をつかみ、見事、現役合格を果たします。
こうして学生生活をスタートさせた知事ですが、その4年間は、決して順風満帆ではありませんでした。
「ゼミやサークルで物事を決めたり話し合いをするとき、中心となるのはだいたい、東京の有名進学校出身者。私のような田舎者は話すスピードが遅く、訛りもあったせいか、発言してもなかなか耳を傾けてもらえませんでした」
そんな状況が一変したのは、大学3年生のとき。外務省主催の論文・討論コンクールで、最高賞である外務大臣賞を受賞。これをきっかけに周りから一目置かれ「その時から、みんなが注目してくれるようになり、実績をつくることの大切さを実感しました」と話します。コンクールで得たのは実績だけではありませんでした。なんと、賞品としてASEANの視察ツアーに参加できることに。このツアーが、その後の人生を方向づける転機になったと振り返ります。
「ツアーで各国を訪れたのですが、その国に駐在している外務省職員の相手国の文化や人々をリスペクトする姿勢、国際情勢など状況の変化に対応する姿に感銘を受け、自分もこの魅力的な仕事がしたい、と考えるようになりました」
その思いはカタチになり、1988年、達増知事は大学を卒業し外務省に入省。社会人としての第一歩を踏み出します。