部活もさることながら高校で受けた生物の授業に感銘を受けたという米谷さん。大学進学で行った仙台では「野草園や植物園巡りをしては、今まで知らなかった植物をたくさんみて趣味の知識を膨らませました」と植物園に足を運んでいたとか。
大学卒業後に母を亡くし、残された祖父と商店の面倒を見るために帰郷することになった米谷さん。しかし、既に結婚していた米谷さんは育児と商店の両立に加え、祖父と夫が同時に入院するという事態に立たされ、やむなく商店を閉めることに。
そんな米谷さんに転機が訪れます。「全国チェーンのホームセンターが陸前高田に新規開店のためスタッフ募集があったんです。以前から園芸部門で働きたかったのですぐに応募しました」趣味で培った豊富な知識に採用者も驚き、晴れて雇用され園芸部門を任された米谷さん。以前に商店を営んでいたのも相まって、顔なじみの地元のお客さんが次々と来店。自身で3年計画を打ち出し、さまざまな仕掛けや親切丁寧な接客を展開。3年後には系列店に比べて倍の売上を達成させたと言います。
「勤めていた店は全国に千店舗ほどあるホームセンターで、年に一度の売り場コンテストがあったのですが、園芸部門で数年間連続優勝を果たしました。続けて優勝できたのは自信になりましたね」。趣味が高じた園芸の知識、テニスで培った勝負事の強さ、商店を営んだ経験が糧に米谷さんならではの結果だったのかも知れません。大好きな園芸に囲まれて勤めたお店で10年余り過ぎた頃、東日本大震災が起こります。