なぜそこまで地域のために奔走するのか尋ねると「僕らが何もしなかったらこの町はダメになってしまう」と田村さん。自動車学校の経営者として、免許取得のターゲットとなる18歳人口の推移を長年注視し続ける中、少子化による人口減少、そして進学や就職に伴う18歳人口の他エリアへの流出に危機感を感じてきました。「町が存続するためにはどうすればいいか。若者の流出に歯止めがかけられないなら、一度外に出て経験を積んだ40歳前後の世代が帰って来たくなるようなまちづくりをすればいい」。40代の働き盛り世代が家族と一緒に帰って来れば、奥さんや子ども世代の人口も増加します。田村さんの危機感は使命感へと変化し、2007年に同じ志を持つ仲間と中小企業家同友会気仙支部を立ち上げ、雇用の場づくりを始めたといいます。
また、ある記事との出会いも田村さんの背中を押しました。「終末期医療に従事する看護師さんの本で、85%の人が何らかの後悔をしながら亡くなり、その中の90%の人は『チャレンジできなかった』という同じ後悔をしていると知って、すごく感じ入った」と話します。以来、ずっとチャレンジし続けてきたと話す田村さん。さまざまな課題に対し「なんとかできないだろうか」と考えることから始め、積極的に関わり、ビジネスとして解決する方法を見つけ出してきました。「35の新しい会社が誕生し『カモシー』もオープンし、やっと動き出した」と田村さん。今後は、起業家のサポートや発酵食文化の発信などに力を注いでいきたいと話します。
「ここは震災で多くの命を失ってしまった町だからこそ、最も命を大事にする町にできたらすてきだろうな」と話す田村さん。命を大切にするためにどうしたらいいか、考え始めるとアイデアが次から次へと浮かんでくるといいます。自分自身の悔いのない人生のために、そして大好きな気仙地域のために、田村さんのチャレンジはまだまだ続きます。