原敬(はら たかし)に次ぎ岩手県出身者としては2人目の内閣総理大臣に就任した斎藤實(さいとう まこと)は1858(安政5)年10月27日、奥州市水沢の吉小路(きちこうじ)に生まれました。吉小路からは斎藤の幼馴染みである後藤新平、自民党副総裁を務めた椎名悦三郎(しいな えつさぶろう)、幕末の蘭学者高野長英も生まれていて、「偉人通り」と呼ばれています。
斎藤は15歳で上京し海軍兵学寮(後の海軍兵学校)に入学し優秀な成績で卒業後、27歳からアメリカに4年間留学しました。帰国後海軍次官を経て日露戦争後の1906(明治39)年から8年間海軍大臣を務めました。1918(大正7)年同郷の原敬内閣が組閣した際は朝鮮総督に任命され、10年余りにわたり民生の安定に努めました。
1932(昭和7)年には五・一五事件に象徴されるファシズムが台頭する中で、内閣総理大臣に就任しました。満で74歳でした。軍国主義が台頭する中で国際協調の精神を重視し防波堤の役割を果たそうとした斎藤ですが、内大臣を拝命した翌年の1936(昭和11)年二・二六事件の凶弾に倒れました。満77年の生涯でした。死後敷地、旧宅、書庫などの遺品が遺族から水沢市(現 奥州市)に寄贈され、1975(昭和50)年斎藤實記念館が開館しました。
