ずっとチャレンジ!

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インタビュー
株式会社高田自動車学校 取締役会長 田村 滿 さん
株式会社高田自動車学校 取締役会長
田村 滿 さん
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● 故郷の存続のために自分ができること

 東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県沿岸南部。ここで自動車学校を経営しながら、故郷の復興と存続のために奮闘するリーダーがいます。株式会社高田自動車学校会長の田村滿さん。9人兄弟の末っ子に生まれ「子どもの頃からウケを狙うタイプでした」とダジャレを交えた会話で周囲を和ませます。岩手県中小企業家同友会代表理事を務める田村さんは、自動車学校のほか株式会社キャッセン大船渡、株式会社醸(カモシー)、有限会社満福農園、ベーカリー・マーロなど複数の企業を経営。慌ただしい日々を送りながらも「オレ暇だから」を口癖に地域の経営者や若者の相談に耳を傾け、一緒に解決策を模索する田村さんのもとには自然と人が集まります。

 田村さんが人を惹きつける力の一つに、スピード感のある行動力があります。東日本大震災が起きた時も高台にある自動車学校を避難所として開放し、警察や自衛隊にも活動場所を提供しました。震災の約半年後には「なつかしい未来想像株式会社」を設立し、復興まちづくりに着手。「500名の雇用創出を目指し、中小企業家同友会気仙支部の仲間と起業家の育成を始めました」。約10年間で40名の起業家を育成し、35社が存続。気仙地区全体で約250名の雇用を創出しました。「他県から移住した起業家が、地元野菜のおいしさに感動し『浜野菜』として首都圏で販売したり、地域の魅力を発掘しビジネスにつながる良い循環も生まれています」と田村さん。2020年には陸前高田市に「陸前高田 発酵パーク CAMOCY(カモシー)」をオープンし「体に良い発酵食品を広めて地域の人たちの健康を守り、元気に働いて税金を納め、社会を支えるかっこいい高齢者を増やしたい」と話します。

● 危機感から使命感へ 気仙の未来のために

 なぜそこまで地域のために奔走するのか尋ねると「僕らが何もしなかったらこの町はダメになってしまう」と田村さん。自動車学校の経営者として、免許取得のターゲットとなる18歳人口の推移を長年注視し続ける中、少子化による人口減少、そして進学や就職に伴う18歳人口の他エリアへの流出に危機感を感じてきました。「町が存続するためにはどうすればいいか。若者の流出に歯止めがかけられないなら、一度外に出て経験を積んだ40歳前後の世代が帰って来たくなるようなまちづくりをすればいい」。40代の働き盛り世代が家族と一緒に帰って来れば、奥さんや子ども世代の人口も増加します。田村さんの危機感は使命感へと変化し、2007年に同じ志を持つ仲間と中小企業家同友会気仙支部を立ち上げ、雇用の場づくりを始めたといいます。

 また、ある記事との出会いも田村さんの背中を押しました。「終末期医療に従事する看護師さんの本で、85%の人が何らかの後悔をしながら亡くなり、その中の90%の人は『チャレンジできなかった』という同じ後悔をしていると知って、すごく感じ入った」と話します。以来、ずっとチャレンジし続けてきたと話す田村さん。さまざまな課題に対し「なんとかできないだろうか」と考えることから始め、積極的に関わり、ビジネスとして解決する方法を見つけ出してきました。「35の新しい会社が誕生し『カモシー』もオープンし、やっと動き出した」と田村さん。今後は、起業家のサポートや発酵食文化の発信などに力を注いでいきたいと話します。

「ここは震災で多くの命を失ってしまった町だからこそ、最も命を大事にする町にできたらすてきだろうな」と話す田村さん。命を大切にするためにどうしたらいいか、考え始めるとアイデアが次から次へと浮かんでくるといいます。自分自身の悔いのない人生のために、そして大好きな気仙地域のために、田村さんのチャレンジはまだまだ続きます。

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プロフィール

1947年、大船渡市生まれ。小学6年生の時に盛岡に転居し、東京で学生時代を過ごす。青山学院大学卒業後Uターンし、父が経営する株式会社高田自動車学校に入社。教習歴50年以上の現役ベテラン教官。若い頃はモータースポーツにハマり国内のラリーにも出場。夢はバイクで北海道を一周すること。元気の秘訣は毎朝食べるカカオ88%のチョコレート

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