第84回 旧三戸町界隈

第84回 旧三戸町界隈

もりおかいにしえ散歩
もりおかいにしえ散歩

案内役 真山重博さん

 JR上盛岡駅を起点として、今年3月で惜しくも廃刊となった盛岡タイムス社前、盛岡税務署前と続き、旧奥州街道と交差、さらに市道の本町・上田線と交差して中央通に至る現本町通三丁目の沿道は、1964(昭和38)年の住居表示法が施行されるまで「三戸町」と呼ばれていました。

旧三戸町

 この界隈は城下盛岡が造成された最初の町人町で、南部26代信直公から盛岡城造営事業を引き継いだ27代利直公が、1617(元和3)年、それまで南部の居城であった三戸城下(現青森県三戸町)から町人を盛岡の新地に呼び寄せ、ここに「三戸町」が誕生しました。といっても実はこの「三戸町」、当初は現在の中央郵便局がある通りでしたが、まもなくこの沿道が「侍町」である「日影門外小路」とされたため、町人たちは用水路でもあった赤川の西側に移動させられたのでした。

 現在、櫻山神社鳥居脇の「鶴が池」畔にある鐘楼は元々「三戸町の時鍾」といわれ、赤川の土手(現中央郵便局裏手)にあって、城下に時刻を知らせていたもの。明治維新後、現在地に移設されています。

 三戸町は市日も最初に公認されるなど河北地区でも有数の繁華街だったのですが、現在、この界隈を歩いてもそのころの面影を探すことは困難です。町の名称が変わるころに町並みも一変してしまったからです。

 カトリック四ツ家教会の交差点から三戸町の道路と交差(現3丁目交差点) して岩手医大本町キャンパス(元三戸町分院)前を通り、山田線を超えて岩手大学方面に抜ける都市計画道路「本町・上田線」が開通する一方、3丁目交差点から中央通までの区間に歩道を新設するために両側の建物がセットバックを迫られ、町家の風情を残す商店や格子窓の民家が何軒も並ぶ光景もすっかり姿を消してしまいます。1970(昭和45)年、最初の岩手国体開催の年でした。

 3丁目交差点から北側の道路は、幸か不幸か拡幅計画から外れたため、佐々木米穀店や武蔵畳店など現存する貴重な店の姿が見られます。

 三戸町時代の風景は消えつつありますが、町内会や子ども会の呼称に「三戸町」が今も使われているのは嬉しいことです。

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