今年は巳年ですので「蛇」にちなんだ地名を探してみると、盛岡市子ども科学館の辺りが「本宮蛇屋敷」なんですね。というわけで今回は本宮界隈を歩いてみます。
延暦年間(782〜806)、征夷大将軍・坂上田村麻呂が北方統治の拠点として本宮に志波城を造営しました。その際、「蛇屋敷」の辺りに大宮神社を勧請したのですが、度重なる雫石川の氾濫のため現在地①に遷座、もとの社があった所を「元宮」と呼び、それが「本宮」の語源になったと伝わります。

「蛇屋敷」の周辺には「盛岡市先人記念館」、「岩手県立美術館」、「盛岡市遺跡の学び館」など文化施設が並び、2020年には「盛岡市中央公園ビバテラス」②が整備されました。芝生公園を散策していると、カフェのテラス席から楽しいおしゃべりが聞こえてきます。
ビバテラスの駐車場から県道16号を渡り、コンビニ③裏の路地へ。左折して南へ進むと「小屋敷児童公園」④があります。この「小屋敷」というのは新しい住所表記が実施される前の字名で「熊堂」、「林古(はやしこ)」など多くの字名が本宮一丁目から七丁目に整理されてしまいました。「石仏(いしぶつ)」や「野古(のっこ)」といった独特の字名が現在も一部残っています。
公園の南側、字名「宮沢」の地には、名須川町にある古刹・東顕寺の末寺として1628(寛永5)年に開創された「宮澤寺(きゅうたくじ)」⑤があります。再三にわたる火災のため、貴重な文献や仏像などを消失したことが惜しまれますが、境内には1812(文化9)年と彫られた道標・百万遍供養塔があります。
さらに南に進み、字名「熊堂」の地へ。ここには、盛岡が生んだ平民宰相・原敬の生家と記念館があります。原敬生家は藩重役だった祖父が建てたもので、当初は建て坪約250坪の豪壮な屋敷でした。現在残っているのは屋敷の西南隅に当たる部分で往時の5分の1ほどですが、盛岡市指定有形文化財、盛岡市景観重要建造物となっています。
「蛇屋敷」方面へ戻り「とんかつ熊さん」⑥から県立美術館へ進むと、バス停が見えてきます。その名は「わたなべおしりのクリニック前」⑦。旧地名やネーミングがなにかと気になる本宮界隈、だいたい3500歩のみちくさでした。
(後編へ続く)