スキーで世界を見る

スキーで世界を見る

インタビュー
国際スキー・スノーボード連盟 副会長 村里敏彰さん
国際スキー・スノーボード連盟 副会長
村里 敏彰 さん
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● スキーでみんなをハッピーに

 生涯スポーツとして人気のスキー。「スキーは先読みするスポーツだから脳と体に良いスポーツなんです。自信もついて新しい自分が発見できますよ」と話すのは国際スキー・スノーボード連盟副会長の村里敏彰さん。スキーを通して世界を飛び回ってきた、ワールドワイドな人物です。

 村里さんがスキーに出会ったのは幼少期。盛岡市内にある岩山でスキー授業を楽しみ、道路を下駄スキーで滑ったりなどスキーは身近な存在でした。しかし、中学校に上がる頃になると父親を残し勉強のため東京へ。スキーをする機会もなくなり、周囲とも馴染めなかったと言います。「高校に入って最初はサッカー部に入部したけど、うまくできなくて。それで得意なことをアピールしようとスキー同好会を作りました」。当時、スキー愛好者は少なく、クラスメイトに話をすると興味津々。一緒にスキーをしに行くなど親睦を深めることができ、改めてスキーの魅力を感じたと言います。

 その後、受験期を迎えた村里さん。医師である父親の跡を継ぐため医学部へ進学予定でしたが、当時は学園紛争が多発しており受験が難しい状態でした。「受験できず、どうしようか考えていると、夢中になってやっていたスキーを学びたいと思うようになりました。"病気にならず健康でいられるスポーツで、たくさんの人を幸せにする仕事をしたい"と父を説得して、スキーが国技のオーストリアに行くことにしました」。そして、3年は帰らないと宣言しオーストリアへ向かった村里さん。渡墺後は現地の予備校で高校の卒業資格を取得し、歴史あるインスブルック大学へ進学します。「教室の扉を開けるといろんな国籍のクラスメイトが座っていて、見た目や宗教、考え方が一人一人違くて、最初は驚きましたが、多様性を感じることができてよかったです」と世界の広さを学んだと言います。そして父親との約束を守るため、学業をこなしながらスキーコーチのバイトを掛け持ち。最年少20歳でオーストリア国家検定スキー教師の資格も取得し、さまざまな言語での会話力やスキーの指導技術にも磨きをかけていきます。

●多くの人に世界を広げてもらいたい

 約束の3年後、村里さんがいたのは1972年開催の冬季オリンピック会場だった札幌。スキー留学中の友人の推薦でスイスチームの通訳に抜擢され、アシスタントとして日本に戻ってきました。「各国の高い技術や国を越えての交流など、オリンピックの素晴らしさを体験しました」と世界の大舞台に魅了されます。閉会後、大学に戻った村里さんの元にはスキー関連の仕事が舞い込むように。オリンピック関係者やアスリートと話す機会に恵まれます。「スキーを通していろんな人とつながることができました。忘れられない思い出もたくさんできて嬉しかったです」。そして、日本からもスキー関連の依頼が。日本と海外のスキー選手をつなぎ、支援するため会社を設立し拠点を日本に移します。

 帰国後、国内各地のスキースクール開校など精力的に活動する村里さん。しかし次第に日本と世界の違いを感じたと話します。「世界に目を向ける子が日本は少ないように感じました。世界は広くてレベルが高いことを子どもたちに知ってほしくて、世界大会の招致を思いつきました」。早速、ディレクターとして全体の指揮を取りながら奔走。学生時代のつながりを駆使し、1993年に念願のアルペンスキー世界選手権を雫石町で開催させました。その活躍から今度は長野冬季オリンピックの招致にも尽力。そして、十数年後、東京オリンピック招致に協力してほしいと声をかけられます。「招致に一度落選していたタイミングで、相当な時間と労力が必要なのはわかっていました。しかしオリンピックの素晴らしさを多くの人たちに伝えたいと思い、引き受けました」とスキー界から離れ、国際局長として奮起します。「一日があっという間に過ぎるくらい忙しかったです。各国の委員会との話し合いや調整があって、開催決定後は、コロナ禍で延期になったり、大勢の各国の選手をどうやって受け入れるかなどやらなきゃいけないことが多くて大変でした」と予想以上にハードだったと話します。しかし、甲斐あって、東京オリンピックは多くの選手が活躍し、世界中に感動を与えた大会となりました。

 約10年に渡った東京オリンピックの活動が終わり、盛岡に戻ってきた村里さん。今はゆっくり散歩したりスキーができて幸せだと話します。「世界各地を見てきたけど、盛岡は豊かな自然に囲まれて、風情や文化もあって、他にない良い街だと思います。そして何よりジャパンパウダーと称されるくらい上質な雪で滑れる岩手の環境は世界に誇れる宝です。せっかくの岩手の雪を堪能してほしいです」と語る村里さん。今年の冬はスキーに挑戦してみませんか。

プロフィール

1951年、盛岡市生まれ。高校卒業後、オーストリア チロル州インスブルック大学に進学。在学中に1972年冬季オリンピックで通訳兼アシスタントを務め、スキー関連の仕事をしながら東京教育大学体育学部を経てオーストリア連邦体育大学ウィーン校修了。現在は(公財)全日本スキー連盟顧問、インターアルペン雫石スキースクール顧問、NPOいーはとーぶスポーツクラブ理事長などスポーツに携わる人々の支援を続けている

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