盛岡は映画館が多く映画の街として知られていて、かつては毎年「みちのく国際ミステリー映画祭」が開催されていました。そのいしずえを築いたのが、実業家の三田義正です。
義正は1861(文久元)年4月21日、盛岡に生まれました。弟が岩手医学専門学校(現 岩手医科大学)の創立者として知られる三田俊次郎です。義正は岩手中学校(現 岩手高等学校)の創立者であり、俊次郎とともに岩手育英会を設立するなど、教育面でも大きな功績を残した人です。
映画は大正時代には「活動写真」と呼ばれ、日本では勃興期(ぼっこうき)を迎えていました。義正はいち早くその集客力に着目し、盛岡市大通に映画館建設を計画します。オープンに先立ち館名を公募し、「中央映画劇場」として1935(昭和10)年にスタートしました。当初のもくろみ通り映画は大人気で、義正は隣に第一映画劇場を、さらに中央ホールをというように映画館を林立(りんりつ)させました。周辺は映画館が立ち並ぶエリアとなり、中央映画劇場は「映画館通り」のメイン劇場として半世紀にわたり盛岡市民に親しまれました。
当時の中央映画劇場の設計をしたのは盛岡出身の建築家・葛西萬司(かさい まんじ)でしたが、その建物は1984(昭和59)年に解体されています。
