原敬暗殺と東京駅

原敬暗殺と東京駅

岩手の先人こぼれ話
岩手の先人こぼれ話シリーズ

宮沢賢治学会 前副代表理事 佐藤竜一さん

 東京駅丸の内南口改札口の近くに、「原首相遭難現場」の銘板があります。1921(大正10)年11月4日、原敬が暗殺されたことを伝えています。

 原敬は1856(安政3)年2月9日、盛岡藩で家老を務めた直記の孫として盛岡に生まれました。盛岡藩校作人館修文所で学んだ原はやがて上京し、新聞記者・外交官を経て1918(大正7)年9月29日、第19代内閣総理大臣に就任しました。東北出身者としては初めての内閣総理大臣で、原は従来の藩閥政府ではなし得なかった、 ①高等教育機関の充実 ②全国に鉄道など交通通信網を整備 ③産業及び通商貿易の振興などを重点政策に掲げ、成果をあげました。

 原は皇太子(後の昭和天皇)外遊を実現しますが、これには右翼が反対し、暗殺を予告する脅迫状が原の元に送られました。それでも原は泰然自若(たいぜんじじゃく)としていて、暗殺を覚悟していたようです。右翼青年・中岡艮一(こんいち)に刺され落命した原は、65歳でした。

 なお、東京駅を設計したのは辰野金吾とその補佐役・葛西萬司です。萬司の義父・葛西重雄は原と親しく、その縁で原は萬司の長女・フミの婚姻の際に、仲人を務めています。やがて娘が生まれますが、萬司は原への恩義から、初孫に敬子と名付けました。

原敬遭難を伝える銘板にて(東京駅)
原敬遭難を伝える銘板にて(東京駅)

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