● 跡を継ぐつもりは全然なかった
岩手県を中心にスーパーマーケット58店舗を展開する(株)ベルジョイスは、1928(昭和3)年に小苅米さんの祖父母が始めた精肉店「一戸商店」がルーツ。1958(昭和33)年には全国でもまだ珍しかったスーパーマーケットにいち早く事業転換し、徐々に店舗数を拡大してきました。
「小さい頃は、当時本町にあった一号店の上に住んでいた」という小苅米さんは、2男2女の末っ子。両親や祖父母が働く姿を間近で見ながら育ち「作業場に遊びに行って、おやつをもらったりしていました」と、子ども時代を懐かしみますが「将来、親の跡を継ぐことは全く意識していなかった」と話します。
「父から常々『息子だからといって社長になれると思うな』『会社は俺や一族のものではなく、みんなのもの』と言われていましたから。かといって、他に何かしたいことも特になく、目的意識のないまま上京し、大学に進みました」。
就職も「特に行きたいと思うところがなかった」という小苅米さん。「父に相談したところ、外食産業はどうだと言われました。当時(1980年代)のスーパーは今ほど惣菜部門が充実しておらず、市場を外食産業にとられている状況。父にとって気になる業界だったのだと思います」。
その助言を受け、大手外食チェーンに就職した小苅米さんは、新規事業の店舗でフロアーや副店長業務を担当。経験を積むごとに仕事の楽しさ、やりがいを感じますが、一方で深夜も働く不規則な生活は心身の負担に。「このままだと倒れると思ったのか、父から『戻って来い』と言われて。3年働いたのち帰郷し、ジョイス(現・ベルジョイス)に入社しました」と語ります。
●苦しみも喜びも働くやりがいに
入社してしばらくは、青果や水産など店舗の各部門で商品化や売場づくりを経験し、後に本部でバイヤーや企画を担当。「促されるまま業界で働き始めましたが、さまざまな部署や立場を経験するうちに視野が広がり、仕事に対する意識も変化していったように思います」と小苅米さん。1993(平成5)年には、アメリカのスーパーマーケット業界に学ぶため、自ら志願し1年弱の研修プログラムに参加。「シアトルのQFC・フロリダのパブリックスというスーパーマーケットチェーンで研修を受けました。徹底的に効率化された流通形態や品質管理システムなど、今では日本でも取り入れ始めていますが、当時はそのスケールの大きさにただ圧倒されましたね」と振り返ります。
2001(平成13)年に、入社13年目で店長職。その後経営計画室長や営業本部長としてキャリアを積み、2009(平成21)年に代表取締役兼社長執行役員に就任。現在は代表取締役会長を務める小苅米さん。この業界に従事して30年以上。「98%が苦しみで、喜びは2%しかない」と笑いながらも「お客様の生活に密着している分、努力が結果にすぐ返ってくるのがこの仕事の面白さ。大変だったこと、苦労したことも、今思えばたいしたことではない」と話します。
●食品スーパーは「変化対応業」
「食品スーパーマーケットは『変化対応業』だと、私の父はよく言っていました。コンビニでおいしいコーヒーが手軽な値段で買えるようになり、価値観が変わり、ライフスタイルが変わりました。お客様の日常生活は変化していきますので、まずは、それに対応することが最優先です。団塊の世代の最後の皆さんが70歳になり、消費の主体が団塊の世代ジュニアの世代に代わり、変化は速度を増していますので、なおのことです」と小苅米さん。
その対応の一つとして「取り扱い商品のボリュームと、人材育成、設備投資ができる企業規模が必要」と考え、2012(平成24)年、食品スーパー大手・(株)アークスと経営統合も行いました。
「グループになったからこそ、お客様や従業員に還元できることがたくさんある、と考えています。地域密着企業の強み、グループの強みの双方を活かしていきたい。岩手のスーパーマーケットはこれからも、日常生活をより豊かにするお手伝いをしていきます」と、言葉に力を込めました。