衰え知らずの好奇心

衰え知らずの好奇心

インタビュー
創造フィギュアクリエイター 佐藤邦彦さん
創造フィギュアクリエイター
佐藤 邦彦 さん
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● 小さな世界にかける情熱

 約5cmの兵士人形を自由に変身させた改造作品を発表するプラモデルメーカータミヤ主催の「人形改造コンテスト」。53年前の第一回目から参加している佐藤邦彦さんは高い技術と表現力が評価され、2年連続金賞を受賞しました。

「父が戦闘機乗りだったから昔から飛行機や機械が大好きでね」と話す佐藤さん。バレーボール選手でもあった父親が各地の大会に行くたびに買ってくるソリッドモデル(木製の模型)を作るのが楽しみで夢中で作っていたと振り返ります。そして世の中でプラモデルが流行し始め、高校生になると佐藤さんも作り始めます。「誰が作っても同じだと思っていたのですが段取りを考えた改造と塗装によりオリジナリティを出せることに気づきました。面白くなってきて、一気にのめり込みました」と持ち前の器用さと自由な発想力で個性溢れるプラモデルを作るようになります。

 その後、大学に進学し横浜の自動車会社へ就職。機械の知識と経験が広がったことで好奇心が増し、プラモデル作りへの情熱もさらに加速したといいます。「給料で好きに買えるようになったので、東京中の模型店を見て回っていました」。そしてある日、模型店で買ったプラモデルの本で人形改造コンテストの開催を知ります。「自分の実力を知るために参加を決めました。ちょうど作りかけの人形があったので、コンテストに向けて作品づくりを始めました」と2体のパイロットの人形を出品。道具や服のシワなど細かく再現し、表情も緻密に作り上げた自信作でしたが結果は銀賞でした。しかし他の作品もレベルが高く、思い思いの世界観を作り出しているものばかり。それを見た佐藤さんは人形改造の魅力を知り、人形制作にも力を入れていくようになります。

● 自分も見る人も楽しい作品を

 仕事に追われながらも、人形作りにも励む佐藤さん。28歳のとき、両親からの頼みで帰郷することになり工業高校の機械科の教員になることに。当時はほとんどの生徒がプラモデルを作っていて、模型好きな先生として親しまれました。教員の仕事もしながら、毎年欠かさず人形改造コンテストにも出品。しかしなかなか金賞には届きませんでした。「賞を取れない年もありましたが見た人にこんなのよく作ったねと言われると嬉しくて。それから自分も楽しく見る人にも喜んでもらえるものを作ろうと思いました」と大人から子どもまで楽しんでもらうため、タイムリーな作品を作るように。テレビや雑誌に目を通し、時には生徒に何がはやっているか聞くこともあったそう。そしてユーモアに感じるポイントを入れるのがこだわりだと話します。「毎年、話題性が高いものは人と被るので様子を伺うのですが、去年は大谷選手と同じ岩手県出身の自分が作らなくてはと思い、WBCをテーマに作ることにしました」と優勝し歓喜に沸く日本代表を人形で表現することに。「もとの人形を削ったりパテを盛って、選手一人一人の身長や体格差を出しました。新聞の写真を元に人形をライターや蚊取り線香で加熱してポーズを決め、選手のスパイクの色や柄、裏側の形も調べて再現しました」とあの感動を表すためかなり細かく作り込んだといいます。「全工程楽しいけれど顔を似せて描くのが至難の技で、それだけにやりがいがあります。人形を合体させるのも難しくて、跳んでいる選手を他の選手が支えるように並べるのが大変でした」と人形に命を吹き込む大事な作業だからこそ気が抜けないと話します。そんな苦労の末に完成した作品が昨年のコンテストで4度目の金賞を受賞。自身初の連続受賞となりました。 「金賞に届かなかった時代に取ったらやめると公言したけど、取ってみたら新たに作りたいテーマやアイデアが次々に湧いてくるのでやめられませんでした。今度は60回出品を目指したいです」と佐藤さん。ユニークな1/35スケールの世界は佐藤さんの手によってこれからも生み出され続けていきます。

プロフィール

1946年、一関市生まれ。高校卒業後、山形大学工学部機械科へ進学し、横浜の自動車会社に就職。28歳のときに帰郷し県内の工業高校機械科の教員として38年勤める。タミヤ主催の「人形改造コンテスト」のほか数々のコンテストでプラモデル作品を出品し、模型雑誌での連載も18年間続けている。座右の銘は「継続は力なり」

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