展勝地百年の思い

展勝地百年の思い

インタビュー
北上観光コンベンション協会
専務理事 兼 事務局長
八重樫 信治 さん

● 北上展勝地の魅力

 長い冬の終わりを告げ、新たな希望の始まりを感じさせてくれる桜。その開花を誰もが待ち望み期待に胸を膨らませるでしょう。

 県内で桜の人気スポットといえばみちのく三大桜名所”や“日本さくら名所100選にも選ばれた全国に誇れる「北上展勝地」。園内には約一万本の桜が植えられ、澄んだ青空とのコントラストが私たちを魅了します。毎年川沿いの桜並木を訪れる方も多いと思いますが、展勝地の魅力はそこだけではありません。川の反対にある陣ヶ丘、さらに登った先の“みちのく民俗村”や“国見山”にも桜があり、外国人観光客の間で頂上からの桜も絶景だと話題になるほど桜並木とはまた違った景色を楽しめます。5月になればツツジ、秋には紅葉、冬は雪景色を楽しみながら国見山へ登ることができ、展望台からは北上市を一望できるので一年中、展勝地を満喫できます。

●展勝地の始まり

 今年で開園10周年の展勝地。桜が植えられる前は畑と、山の方は岩ばかりで川沿いは木や雑草が生え放題だったそう。そのような場所になぜ桜が植えられたのでしょうか。北上観光コンベンション協会の八重樫信治(のぶはる)事務局長にお話を伺いました。「展勝地の創設者と言われてる沢藤幸治氏は明治14年に黒沢尻に生まれ、沢幸さんという愛称で呼ばれていました。大阪で”沢藤商店”という南部鉄器を扱う今のアンテナショップのような店をやっており、後の黒沢尻町長になる人物です」と八重樫さん。「大阪毎日新聞社の記者もやっていて、そこで別の新聞社の記者だった風見章氏と出会い親交を深めていったそう。犬養毅氏とも知り合い、在籍していた時期は違いますが、大阪毎日新聞社の三代目社長原敬氏が務めていたこともあり沢幸さんと接点があったかもしれません」と沢藤氏は交友関係が広い人物だったようです。ほかにも出版や材木商の仕事もやっていたことがあり知識と経験が豊富でした。「沢幸さんは大阪や東京を拠点に活動していたから周囲の変化を見て時代変化の速さを感じたのでしょう。発展が遅れていた故郷も瞬く間に変わるだろうと予感し『いずれ物質的に豊かな時代がやって来る、人は物欲に走りがちになってしまうだろう。しかし美しい景色を見れば欲に支配されず、心は満たされるはず。国見山から心に栄養を与えてくれる景色を皆に見せて心豊かになってもらいたい』と自分が幼いころに遊んだ陣ヶ丘、国見山を思い出し展勝地の構想を考えたのだといいます」と沢藤氏の故郷への思いが展勝地誕生のきっかけでした。

● 心豊かになる場所に

 展勝地実現のため沢藤氏は当時の勤務先の東京と現地を行き来しながら綿密に計画し、桜を植えたいと有力者たちに出資の依頼をするため奔走します。しかしなぜ桜の木を植えようと思ったのでしょうか。「沢幸さんは金原明善(きんばらめいぜん)氏が経営する山林業所に入所し植林のことを学んでおり、そこで桜の知識も得たと考えられます。桜の愛護を目的とした”桜の会”が設立されると2年後には沢幸さんも正会員になっていたことから桜を愛でながら国見山に登ってほしいと思っていたのかもしれません。会頭の渋沢栄一氏を筆頭に新戸部稲造氏など会員には著名な人物が名を連ねており、きっと協力者を探したのでしょう。そのなかで計画に大きく関わる東京帝国大学教授の三好学氏と東京市公園課技師の井下清氏に出会います」とハ重樫さん。「一番印象的なエピソードは年の暮れに原敬氏に招かれ出資のお願いをしに行ったとき。沢幸さんは原敬氏を前に計画の内容を説明しているうちに熱が入り、桜の話を語り始めてしまい『この年の瀬に桜の講釈など聞いていられない』と叱られたそう。しかし最後は計画に賛同し寄付を頂いたと記録に残っています。原敬氏から認められたことで県知事や地元の有力者からも賛同を得ることができた「そうです」と膨大な展勝地の資料を読んできた八重樫さんもこの話には驚いたそう。地権者との話し合いが長引いたり、理解を得られ苦情を受けてこともあったそうですが、原敬氏の話を契機に地元からの協力も得られるようになり計画は進んでいったと言います。

 記者時代の親友、風見章氏に桜を植える会の事業団体名を相談すると“展望のきいた景勝地”から「展勝会」と命名。次第に桜が植樹される一帯が「展勝地」と呼ばれるようになり今日までその名で親しまれてきました。

 計画もいよいよ大詰めの大正10年、井下清技師の指導のもと青年団の協力で桜が植樹され展勝地の形も整いつつありました。開園直前には三好学博士も訪れ指導をし、沢藤氏が思い描いた理想が現実となってきました。そして5月24日、県知事ら約300人の来賓を招き北上展勝地開園の日を迎えました。

 100年が経ち、来園者は増え続け“また来たい”と言ってもらえるともっといい場所にしたいと八重樫さんは言います。「桜を守り育てていく桜守事業を行っていく、四季を通じて花を楽しめるように計画しているので、桜が終わっても楽しんでほしい」と沢藤氏と同じように展勝地を思います。時代が変わって国見山からの景色は10年前と変わらず私たちの心に栄養を与えてくれます。

開園したばかりの展勝地と創設者の沢藤幸治氏
陣ヶ丘の岩場に立つ沢藤幸治氏と仲間たち

プロフィール

大正10年、創設者の沢藤幸治により開演、昭和40〜50年代には青年会議所が中心となり市民植樹祭を開催し1500人ほどが集まり桜の極樹を行った。100周年を迎える今年は新型コロナウイルス感染症に配慮しながらさくらまつりを開催。10月中旬頃には記念式典と記念の植樹が行われる予定

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