石川啄木と宮沢賢治は青春時代を盛岡で過ごしました。盛岡市中ノ橋通にあるもりおか啄木・賢治青春館はその足跡を展示した記念館で、多くの来場者でにぎわっています。第九十銀行として1910(明治43)年に竣工(しゅんこう)したこの建物の設計者は盛岡出身の横濱勉(よこはま つとむ)です。
横濱は1880(明治13)年生まれ、東京帝国大学建築科を卒業しています。恩師は湯島聖堂、築地(つきじ)本願寺などの設計で知られる伊東忠太(いとう ちゅうた)です。横濱は東京帝大を卒業し、東京市営繕課、司法省に勤務しますが、第九十銀行は司法省時代の作品です。当時ドイツを中心に歴史的様式から分離したセセッションという美術運動が起こりますが、第九十銀行はその影響を受けています。近くにある辰野金吾・葛西萬司設計の「岩手銀行赤レンガ館」(旧盛岡銀行本店)がイギリス風であるのと、好対照の意匠(いしょう)です。
第九十銀行は岩手銀行の所有となった後、1999(平成11)年盛岡市により運輸省(当時)の「盛岡快適観光空間整備事業」におけるテーマ館と位置づけられました。保存活用が決定し、もりおか啄木・賢治青春館として開館したのは2002(平成14)年のことで、2004(平成16)年には国の重要文化財に指定されています。
横濱は第二次世界大戦後盛岡に戻り、1951(昭和26)年10月から5カ月ほど岩手県建築士会初代会長を務めました。1917(大正6)年に竣工した盛岡中学校の設計監修をしたことでも知られますが、現存する建築物はもりおか啄木・賢治青春館のみです。