東京専門学校の 初代校長・南部英磨

東京専門学校の 初代校長・南部英磨

岩手の先人こぼれ話
岩手の先人こぼれ話シリーズ

宮沢賢治学会 前副代表理事 佐藤竜一さん

 教育者として活躍した南部英磨(なんぶひでまろ)は1856(安政3)年9月11日、盛岡藩主・南部利剛(としひさ)の次男として誕生。幼少より学問に優れ1870(明治3)年8月、華頂宮博経(かちょうのみやひろつね)親王に随い米国に留学しました。筆頭家老を務めた東中務(ひがしなかつかさ)は英磨を留学させることで戊辰戦争で賊藩となった盛岡藩の汚名返上を図りました。学位を得て帰国後内務省に勤めていた時代に、英磨は肥前(現 佐賀県)出身の政治家・大隈重信の養嗣子となっています。

 大隈重信は早稲田大学の創立者として有名ですが、英磨は前身である東京専門学校で初代校長を務めています。英磨は人がよく、借金の保証人となるなどして金銭トラブルに巻き込まれました。そのことが重なり、英磨は1902(明治35)年大隈家から離縁されました。

 英磨は南部家に復籍し、盛岡に戻ってからは私立作人館中学校の校長に就任したほか、盛岡高等農林専門学校(岩手大学の前身)、盛岡中学校(盛岡第一高等学校の前身)などで講師を務め、教育者として全うしました。

岩手県盛岡市北山 南部英磨の墓(聖寿禅寺)
南部英磨の墓(聖寿禅寺)

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