● 喫茶店ブームとおみくじ器の誕生
かつて喫茶店や食堂のテーブルに置かれていたおみくじ器。自分の星座の投入口に100円玉を入れ、遊び感覚で運試しをしたシニアの方も多いのではないでしょうか。そのおみくじ器を今もなお製造・販売しているのが、滝沢市にある「北多摩製作所」です。
はじまりは、社長の佐藤陽太郎さんが東京都府中市に金属加工会社を立ち上げたところから。上に灰皿が付いた金属製のおみくじ器が当時流行っていて、主に喫茶店に置かれていたそうです。佐藤さんは麻雀仲間であるネジやプラスチック成形会社と「うちも何か作ろう」と話し、各社協力して製作に励みます。それが今の形でもあるドーム型のおみくじ器です。当初はドームの中にドライフラワーを入れていたのですが、あまり売れなかったとか。次に考えたのが遊び感覚で楽しめるルーレット。ワンレバーでどうルーレットを回しおみくじを出すか仕組みを考えるのが大変で、開発に3年もかかったそう。注文時のみ製造・販売していましたが営業セールスする中間業者が増え始め、それからクチコミで日本中に広まり、年間何十万台と発注が来るように。1件につき10台単位の注文があったそうです。やがて喫茶店ブームが去るとともに、おみくじ器も売れなくなってきますが、そこで始めたのがリース業。おみくじ器内の売上30%店舗分として配分する契約で、食堂やラーメン店営業に回ります。その範囲は東京から神奈川、愛知、長野、新潟、石川まで広がり、おみくじ器の売上げで新し製造機械を買うことができたのだそうです。
●滝沢市にて再スタート
工場が滝沢市に移転したのは今から30年前のこと。東京は土地が高く、工場の機械音で近隣から苦情もあって移転を決意。佐藤さんの実家がりんご農家をやっていたので、余っていた土地を活用し工場を建てます。しかしだんだんと売れなくなり、仕事は本業の金属加工業が中心に。いよいよ下火になってきたところで、現取締役である進藤さんに声がかかります。「当時から家族ぐるみの付き合いがあって何とかならないかと相談されたのがきっかけです」と進藤さん。
今まで岩手の公共施設やホテル業に勤めていた進藤さんは挑戦してみようと、2012年に入社。引き継いだ時には、いろんな部品の発注先が辞めてなくなっていたそうで、作れる会社を探すことから始めます。金属パーツは昭和から使っている機械で、進藤さんが全て一人で製作を担当。そして、大手のリース業に向けてHPを立ち上げますが、はじめは個人の発注が多かったとか。「鍵が特殊な形だったので、個人には販売できなくて。それをドライバーでも開けれるよう改良して、個人売りを始めました」。すると、多くのテレビに取り上げられるようになり、2013年には朝の連続テレビ小説「あまちゃん」の喫茶店のシーンに登場。おみくじ器に懐かしむ視聴者もたくさんいました。
●おみくじ器ブーム再到来
今では滝沢市の特産品のおみくじ器ですが、旧滝沢村とつながりを持つためにはたくさんの努力があったそう。「どうしたら知ってもらえるか、遊んでもらえるか考え、スイカ柄のルーレットを作ることで旧滝沢村のPRにつなげたりしましたね」。そして2014年1月、滝沢村が市に変わった誕生記念としてチャグチャグ馬コのイラストを入れた「チャグ馬バージョン」を作って売り始めたところ、検索ワードに上がるように。その後、多くのテレビ出演により注文が殺到し、ネットの急上昇第一位、一日アクセス数3万件にもなるほどの反響があったとか。市とつながりを持つことでおみくじ器の認知度が広がっていったと進藤さん。「ふるさと納税が始まる時に返礼品として採用され、一番に声をかけてもらえたのが嬉しかったね。はじめの頃は何とかしなきゃと奮闘していたが、今は楽しんで作っている。今の仕事に10年くらい携わっているので、おみくじ器は相棒のようだね」
来春に向けて新企画を計画中とのことで今後の期待もふくらみます。「私は、できるかできないかを悩む前に行動するタイプ。目標を常に持って公表することで成功につながるし、やってみてだめなら次を探せばいい」と笑顔で話してくれました。
新年から何か始めたいと思っている方、おみくじ器を回すことで何か導きがあるかもしれませんね。