盛岡の中心部から矢巾町に全面移転した岩手医科大学。広大なキャンパスには、4つの医療系学部を有する大学と、ヘリポートも備えた北東北・北海道最大規模の附属病院が隣接。「医療人は患者さんのそばに」というコンセプトをかたちにした充実の環境は、新時代の医療の拠点モデルとして、国内、そして海外からも注目を集めています。
十数年にわたり、段階的に進めてきた移転事業も、2019年9月に附属病院が移転し完結。そんな岩手医科大学が掲げるビジョンや現在の取り組みについて、理事長の小川彰さんに伺いました。
● 全面移転が可能にした「理想の病院」
―岩手医科大学(以下岩手医大)と附属病院を全面移転することになった背景を教えてください。
移転の大きな理由は、狭さと老朽化です。本学は、明治30年(1897)に開学して以来、盛岡の中心部である内丸地区で大学と附属病院を運営してきました。県内各地、そして県外からも診療を受けに来る方々がいらっしゃるので、県庁所在地の中心部というロケーションは利便性が高いのですが、その一方で、敷地が狭く駐車場も少ない。建物もだいぶ古く、不便でした。 そこで、盛岡の南に接する矢巾町に土地を確保し、大学と病院を移転することにしました。ただし内丸の旧病院は「内丸メディカルセンター」として残し、矢巾の新附属病院は入院や高度治療が中心で外来は完全予約制、内丸のメディカルセンターは紹介状なしでも受診ができるなど、機能や役割を分担しています.
―移転するにあたり、どんな大学・病院をつくりたいと考えていましたか。
病院については、最初は「低層で広くつくり、患者さんがゆったりと療養に専念できる環境を」と考えていました。「モデル」を求めて、国内をはじめアメリカ、ヨーロッパの病院を視察したのですが「これだ」と思うものには出合えませんでした。また、私が考えていた「低層で広い病院」というのも間違いだったことに気づいたんです。高齢化社会が進み、 岩手医大にいらっしゃる患者さんも高齢の方が多い。ひとつの診療科だけでなく、複数を掛け持ちして受診する方も少なくないなか、病院を広くつくるということは、その分長い距離を移動しなければならない、ということだと。
―なるほど。確かにそうですね。
そうした気づきを経て、掲げたのが「患者さんが中心の医療」というコンセプトです。例えば外来フロアは、患者さんの待合室を真ん中に置き、その周囲に各診療科や診断治療機器を配置する。どの診療や検査を受ける際にも動線が短く、移動が最低限で済むようにと考えました。 また、従来は大学の研究棟に設置されることが多い医局(医師の執務室、控室)を、病院棟につくりました。これは「医療人は患者さんのそばに」という思いを形にしたもの。患者さんに何かあったときも、すぐに駆けつけることができます。 ―患者さんを中心に、というコンセプトがレイアウトにも反映されているのですね。 こうした特徴を持つ病院は、世界でもあまり例がなく、国内はもとより、世界中から視察にきていただいています。移転後まもなく、フィンランドの病院関係者の視察に対応したところです。
●世界と肩を並べる、充実の設備と環境
―新しい病院の規模はどのぐらいですか。
ベッド数1000床で、北東北・北海道エリアでは最大規模を誇ります。医師やスタッフの数も多いので優秀な人材が集まりやすく、診療科も充実していているので、岩手県民の方々はもちろん、首都圏、九州、海外からも治療を受けにいらっしゃいます 例えば放射線科では、世界初の「320列CT装置」を企業と共同で開発。身体の内部をより細かく、しかも短い時間で検査できるようになりました。今ではアメリカ、ヨーロッパなど世界の医療機関で2000台が導入されていますが、その第一号機はここにあります。 さらに、バージョンアップした第二世代も開発され、その一号機も新病院に設置されました。
―それはすごいですね。
ほかにも医大には、世界トップレベルの医療機関と比較しても遜色ない、設備や環境が整っているんですよ。 ドクターヘリのヘリポートも、そのひとつです。都市部では土地がないためビルの屋上などにヘリポートをつくることが多いのですが、そこから階下に運び、救急センターに搬送されるまでは時間がかかります。その点、医大のヘリポートは病院建物の裏手にあり、ヘリの到着から1分で高度救命救急センターに搬送できる。「世界で一番効率がいいヘリポート」と言えます。 ―広い敷地を持つ矢巾キャンパスだからこそ実現可能なのですね。 車なら2時間以上かかる沿岸部にも30分ぐらいで到着しますし、また、医師とナースが同乗するので、ヘリの中で診断と救命治療ができる。県土が広く、医療資源が限られている岩手において、ドクターヘリの活用はこれからもっと、大きな役割を果たすだろうと思っています。
―似たような課題を抱える地域にとっても、先進事例となりそうですね。
もうひとつ、世界に誇れる設備が、敷地内にある「エネルギーセンター」です。キャンパス内の電源、温水冷水、冷暖房を確保できる独自の発電所で、ふだんは消費電力の半分をここで発電し、残りは電力会社の電気を使っています。しかし有事で電力の供給がストップした際は、100%自前でエネルギーを賄うことができます。
―大きな災害などで停電になっても安心ですね。
東日本大震災の経験から「災害に強い病院」というコンセプトを追加したんです。あの時、盛岡市内も停電し沿岸の病院からの患者の搬送に対応が追いつかず、他県の病院に患者さんの受け入れをお願いしたりもしました。 自前で電力を賄うことで、有事でも病院の機能を止めず、安心安全な医療を確保できます。そして、震災時に助けてもらった恩返しと言いますか、他の地域に災害が起きた時にも、患者の受け入れなどできるように、という思いもあります。 こうした発電所を自前で持っている病院は、岩手医大が世界で初のようです。
―岩手医大は地域医療の要、というイメージが強かったのですが、世界に発信できる病院でもあるのですね。
世界に発信できるコンセプトと設備、優秀なスタッフ、環境が揃っている。世界に誇れる医療機関、医療研究機関だと自負しています。
―世界レベルの医療への取り組みは、私たちが住む岩手の医療の充実にも還元されます。すごい病院が地元にある、というのは安心しますね。
沿岸に30分で移動できるドクターヘリは到着から1分で救命救急センターに搬送可能、最新の320列CTは世界で第一号が岩手医科大学附属病院に配備
東日本大震災の教訓も踏まえて建設されたエネルギーセンター。太陽光発電、地中熱利用などの再生可能エネルギーを利用し、災害時には一週間程度の施設内のエネルギーを維持する
●「世界でも類を見ない」医療系総合大学
―矢巾キャンパスの移転に伴い、従来あった医学部・歯学部に加え、薬学部・看護学部を開設しました。
「医」「歯」「薬」「看」が同じキャンパス・建物で学ぶ、というのは、世界的にも珍しいんですよ。一般的には、学部によって建物が分かれていますから。
―なぜ、そのようなかたちにしたのですか。
ほかの医療系職種を目指す学生と交流し「顔の見える関係」を構築することが、将来、医療人として「チーム医療」に携わる時にも役立つと思うからです。講義室も学食も同じ建物を使い、クラブでも一緒に活動する。学部の垣根をなくすことは視野を広げ、総合的な医療人の育成にもつながると考えています。
―なるほど、 すばらしい考えですね。 これには、岩手医大の建学のルーツが根っこにあります。
明治維新後、政府の医療施策が定まらず、医師を養成する機関が不在だった岩手県では、医療を受けられず病に倒れる人がたくさんいました。それを憂いた三田俊次郎が、私財を投じて私立岩手病院を設立し医学講習所を開いたのが岩手医科大学のはじまりです。三田はさらに「医者の養成だけでは医療はよくならない」と、産婆(助産師)と看護婦(看護師)の養成所を併設しました。
―岩手医大が掲げている理念のひとつ『「医」「歯」「薬」「看」の密接な連携による総合的な医療人の育成』が、まさにその思いを反映していますね。
●「私学」だから実現する、 組織を超えた連携
―矢巾キャンパスには、大学と病院のほかに「岩手県立療育センター」、矢巾町が運営するメディカルフィットネス、薬局などが入居する「コスモス館」、商業施設の「トクタヴェール」もあります。
今年4月には、岩手県対がん協会の健診施設「すこや館」もオープンします。矢巾キャンパスが、予防も含めた地域医療の拠点になりつつある。こうした「組織の枠を超え、岩手の医療をひとつにする」ことは、私たちが描いているビジョンでもあり、岩手医大だからこそできることでもあると考えています。
―岩手医大だからこそ、というのは、どのような点でしょうか。
開学から100年以上、岩手の医療に根ざしてきたという歴史や実績もですが、私立大学であることも実は大きい。適度な独立性を保つことで、県や医師会などと対等な立場で連携できますし、柔軟な対応や取り組みができます。他県ではそれがなかなか難しい、という声を聞きますが、岩手は3者の連携、方向性の共有がうまくいっていると思っています。
―小川理事長は、岩手県医師会の副会長、岩手県対がん協会の理事長なども兼任されています。たくさんの卒業生が岩手の医療に大きく貢献していることも「岩手の医療をひとつにする」力になっているのでしょうね。
県立病院をはじめ地域の基幹病院で働く医師の多くは岩手医大の卒業生です。さらに、医療不足などの課題を抱える地域に毎日50人以上の応援医師を派遣しています。これは、岩手県内はもちろん、秋田県や青森県、北海道南部などの医療機関にも派遣しています。
―北東北、北海道まで、 岩手医大の地域医療への貢献度は本当に大きいのですね。
手がける範囲が広いだけでなく、地域医療の砦として高度医療にもしっかりと取り組まなければなりません。首都圏などの都市部の医科大学は、それぞれの強みに特化した医療や研究を打ち出せるかもしれませんが、私たちは「全ての分野においてレベルの高い医療」を提供する必要がある。それが岩手医大の使命であり、強みだとも思っています。
●新型コロナの感染拡大を防ぐために
―世界中で感染拡大している新型コロナウイルス。岩手でも感染者が増えてきました。
新型コロナウイルス感染症は、治療法がまだ確立されておらず、予防的なワクチン接種もまだ本格的には始まっていません。現状では「密を避ける」「マスク、うがい、手洗い、消毒」が、感染予防のための基本中の基本ですが、それで完全に防げるわけではないのが難しいところ。また、PCR検査も完全ではなく、陰性と判断された人が実はウイルスを持っていて、多数と接触し感染を広げてしまった、というケースもあります。
―PCR検査でも「ウイルスを持っていない」という確固たる証明ができない。難しいですね…。
感染拡大を食い止めるのに最も有効なのは、先ほど挙げた感染予防のほか「感染者と接触した人を特定し、2週間隔離してもらう」ことです。そのためには、行動履歴を記録、把握することも重要になります。 岩手県の感染者は、今のところはほぼ全員感染履歴を把握し、感染源をたどることができていますので、健全な対応ができていると考えていいでしょう。
―岩手医大では、どのような対策、対応をしているのでしょうか。
岩手医大の附属病院は、県唯一の特定機能病院であり、他ではできない高度先端医療を請け負っています。また、応援医師の派遣によって地域医療を支えている面もあります。もしも院内で感染が広がれば、医師をはじめスタッフは自宅待機せざるを得なくなり、これらの医療は止まってしまいます。これは岩手県の医療崩壊を意味します。そうならないように、汚染は絶対に防がなければなりません。
―そうですね、病院の機能が停止してしまったら、岩手医大の医療を待っているたくさんの人の命にも関わる。
そのため、県や県医師会、県内の主要病院とも話し合い、本院では軽症例は受けつけておりません。とはいえ、特別な治療を要する重症者や新生児の感染者が現れた場合、その治療は岩手医大で行うことになります。その時を想定し、搬送や移動の導線を定めて完全に分離する、対応するスタッフは2週間勤務したのち2週間検疫のための自宅待機など、最大限の対策をすることとしています。
●医療従事者への差別をなくし、県民一丸となって対策を
―岩手医大をはじめ、どこの病院も最大限の感染防止対策をしていると思います。ですが、ニュースなどを見ると、医療従事者やその家族への偏見や差別、誹謗中傷などが問題になっています。
岩手にも実際にそのような事例があり、私たち医療従事者はとても困っています。感染者を受け入れる病院はもちろん、どの病院も一般の方々が対策している何倍も気を配り、万全の対策をしています。医療従事者への差別や誹謗中傷は、適切な対応をしている岩手の医療全体を壊してしまう可能性がある。ぜひ心ある対応、理解をお願いします。
―必要以上に怖がらず、正しく対策することが大切なのでしょうね。
先ほども話した通り、岩手の感染者は全員、感染履歴を把握でき、感染源も特定できています。正しく適切に対策している。また、現時点で、岩手の新型コロナに対する医療体制や病床数は逼迫していません。不安になりすぎず、自分ができる対策をしっかり行っていただければと思います。