昔ながらをいつまでも

昔ながらをいつまでも

インタビュー
羽沢耕悦商店 代表 羽沢 悦朗 さん
羽沢耕悦商店 代表
羽沢 悦朗 さん
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● 昭和6年から続く羽沢家の焼き麩作り

 早朝5時、凛と冷えた工房で炭火を起こし、生地を練る羽沢耕悦商店・三代目の羽沢悦朗さん。「ここはじいさんから始まり、戦争中はばあさんが切り盛りして、親父から私へ90年以上続く焼き麩屋です」と話します。県北エリアに約80軒あった焼き麩屋は、食生活の変化や後継者不足で減少し、現在5軒しか残っていません。その中でも最年少の羽沢さんは、代々使い続けてきた昭和初期の機械が並ぶ工房で、四代目で息子の光貴さんと二人で昔ながらの焼き麩を作っています。

「70代以上の方には、昔食べた焼き麩の味がすると言われます」と羽沢さん。一度食べたら他の焼き麩は食べられないと、遠方からわざわざ買いに来るファンもいます。その秘密は、煮込んでも崩れないモチモチとした食感。「うちは小麦粉の量を極力減らして、生地を引っ張りながら棒に巻き付け、炭火で焼いて自然乾燥します」。季節や温度、湿度によって少しずつ生地の仕込みを調整し、炭火でパリッと焼き上げます。小麦粉の量を増やして量産し、重曹を入れて楽にきれいに焼く方法もありますが、羽沢さんは「昔ながら」を徹底。「大変だけど今までそうやって作ってきたから変えられないね。良い麩が焼けている時は、棒から生地が剥がれる時に『フ〜』っと音がする。その時は最高に気分がいい」と話します。この最高の焼き麩が焼けた時にしか作れない「板麩」は、現在約3カ月待ちとのこと。「一時期6カ月待ちになった時はこちらからキャンセルをお願いしましたが、みなさん待ってくれるんですよ」と、手を休めることなく次々と伝統の焼き麩を焼いていきます。

● 父の背中を見ながら自然の流れで継承

 長く会社勤めをしていた羽沢さんが、体調を崩し実家で静養を始めたのが約25年前。それまで焼き麩屋を継いでほしいと言われたことは一度もありませんでしたが、自然と手伝うようになったといいます。「子どものころから見ていたし、簡単にできると思ってたから。いざやってみたら生地を棒に巻いても均等な厚さにならないし、親父は見て覚えろと何も教えてくれない。巻けるようになるのに2、3年かかった」と振り返ります。同じような苦労はさせたくないと丁寧に指導した息子は、仕事を覚えるのが早いと言います。家業を継ぐ予定ではありませんでしたが、子どものころから「継いでもいい」という気持ちはどこかにあったという光貴さん。「父のような職人になりたい」と朝早くから修行に励みます。

「一人でやっていたころは注文をさばくのに必死だったけど、息子が戻ってきて話し相手ができて仕事が楽しくなった」という羽沢さん。何より、次の代へつなぐことができてホッとしていると話します。「気持ちにも余裕ができて、岩手県産の『銀河のちから』を使って国産原料にこだわった新しい焼き麩も作りました。ああでもない、こうでもないと話しながら試作を繰り返して、9カ月かけてやっと商品化したけど一人ではできなかっただろうね」。新たな挑戦ができたのは、苦労も喜びも分かち合える息子の存在が大きいと話します。しっかり仕事を覚えてもらい、70歳を目標に引き継ぎたいという羽沢さん。代替り後も体が動く限り光貴さんをサポートし、主役ではないけれども栄養価が高く味わい深い焼き麩のおいしさを伝えていきたいと話します。

焼き麩

プロフィール

1959年、八幡平市生まれ。子どものころから基板の匂いがたまらなく好きで、電子回路を組み立て機械いじりをして育つ。岩手県立福岡工業高等学校卒業後、電気系の企業でPHS、カーステレオなどの製作に従事。体調を崩したことがきっかけで実家で静養しながら見よう見まねで家業を手伝い、40代で三代目を継承。祖父の代から90年以上続く昔ながらの製法を守り伝える焼き麩職人

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