信じた道をひたすらに

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インタビュー
【信じた道をひたすらに】草紫堂三代目堂主 藤田繁樹さん
草紫堂 三代目堂主
藤田 繁樹 さん
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● 職人の思いが込もる南部紫根染

 岩手県の伝統文化「南部紫根染」。ムラサキという植物の根(紫根)で染められた着物は幕府の献上品にも選ばれた逸品です。その南部紫根染の技術を守り続けているのが草紫堂三代目堂主の藤田繁樹さんです。

 26歳で草紫堂の仕事を始めた藤田さん、最初は染め物や着物のことなどわからなかったと話します。「手伝いながら染め物や着物の知識、作る工程や販売の仕方などを学びました。知らないことばかりでとても面白く感じました」。しかし、同時に職人仕事の大変さも知ったと言います。「絞り手さんが模様に沿って一つずつ縫い、数カ月〜半年、ものによっては1年以上かけてしぼりを施します。大がかりなものだと12mの生地に約1万3千の絞りが連なり、それを絞り検査職人が絞り落ちや緩みがないか細かくチェックをしてから染めていきます」と絞り作業も大変な手間と時間がかけられていると教えてくれました。そして仕上がりを左右する染めの作業も重労働で大変だと話します。「紫根の状態を見極めるため杵と臼で根を潰しています。硬さが違う根の状態を目で見て、杵をつく時の音を聞き分けながら潰したら、その根に熱湯をかけ布で漉して色を取り出します」きれいな紫色を抽出するためやけどを負いながらも力一杯絞ります。こうして抽出した染料に生地を浸し、その作業を重ねていき理想の紫に染めていくのですが最初は思うような色にならず苦労したそう。「親父から過去の記録だけ渡されて『まずは染めてみろ』とだけ言われました。その通りやってもうまくいかなくて、繰り返すうちに水温の変化や根の状態で色が変わるのだと知りました。その感覚をつかむのは簡単ではありませんでした」と藤田さんは振り返ります。

● 思いを胸に信じた道を突き進む

 草紫堂に入り十数年後、三代目堂主となった藤田さんは南部紫根染を守るため新たな挑戦を始めます。「地元のムラサキを使いたいと思い『南部ムラサキ保存会』を立ち上げました。八幡平市の農家さんがムラサキの種を保存していて、お願いして一緒に栽培することになりました」。しかしムラサキを育てるのは容易ではありませんでした。「発芽率が低い植物で芽が出なかったり、根に色素ができなかったり問題が山積みでした。自分も素人だったから手探りでね」とうまく栽培できず悩んでいると心強い協力者が現れます。「文化庁のプロジェクトの一環でムラサキの研究をしている先生が何度か視察に来てくれたのです。発芽しない原因や根に色素を作る方法を教わり発芽率が飛躍的に伸び、別の先生からは全国でも岩手、南部藩のムラサキが昔から最上級品として重宝されていたと当時のことも教えてもらいました。南部紫根染の文化を絶やしてはいけないと改めて思いました」と今後のムラサキ栽培への意欲が芽生えます。

「良い物を作り続けていれば認めてもらえると信じて、手間と時間を惜しまず、ここまでやってきました」と藤田さん。「最近はコロナ禍の影響で苦しい状況が続き生産を抑えなくてはならず、苦渋の決断をしました。社員にも休みを取ってもらったり、いろいろと心苦しかったです」と犠牲にしたものも多かったそう。ですが、職人たちの思いが込められた南部紫根染の質は落としたくなかったと言います。「紫根染を90年続けてきた店はうちだけです。親子三代で着続けてくれている方や何枚も購入されている方も全国にいらっしゃいます。そんな皆さんにこれからも愛用してもらえる唯一無二のものを作り続け、自分たちしか知らない魅力と一緒に届けていきたいです」と奮起する藤田さん。その思いは南部紫根染の紫色のように、深く色づき続けます。

プロフィール

1965年、盛岡市生まれ。鎌倉時代以前から南部地方に伝わる南部紫根染の技術を継ぐため26歳のとき草紫堂の業務に携わるようになり、2004年に三代目堂主となる。現在は職人に染めの作業を託し、大学での講演や昭和天皇が購入したクッションカバーの復元など南部紫根染の普及活動に尽力している

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