● 釣竿×浄法寺漆の初の試みに挑戦
盛岡近郊の漆工作家の作品が並ぶ「漆屋」。お客さまと会話をしながらお椀に漆を塗っているのは「エキチカの漆市」代表の稲垣元洋さん。釣竿に浄法寺漆を塗装した漆塗フライロッドで「グッドデザイン賞2018」を受賞するなど、漆の可能性に挑む漆工作家です。
神奈川県出身の稲垣さんが岩手に移住したきっかけは「釣り」でした。「学生の頃から夏になると釣りで岩手に来ていて、県庁の近くを流れる川でヤマメが釣れることに驚きました。こんなに自然が近い県は他にないなと感じましたよ」と話します。そんな稲垣さん、25歳の時「北上の小学校で講師をやらないか」と誘われ、釣りができると思い快諾し北上市に移住。ところが1年後、学生時代から続いていた原因不明の腹痛が悪化してしまいます。「体調が悪化したことで仕事を続けられなくなり、大船渡市で休むことにしていましたが、体調に波があっても自営業なら仕事ができるかもしれないと、会社を作って釣竿の組み立てやオーダーメードの仕事を始めました」。
釣竿製作が少しずつ増える中で、修理の依頼も増えてきたと稲垣さん。修理の中でも塗料の剥がれに悩まされ、さまざまな塗料を取り寄せ試しましたが納得できる塗料が見つかりません。その中、目を付けたのが浄法寺漆でした。「水に濡らし繰り返し使う食器に使えるなら釣竿に向かないわけがないと思ったんです。それで八幡平市漆工技術研究センターに相談したんですが、不可能とは言わないが向いていないんじゃないかなと言われました」と稲垣さん。それでも塗ってみたいと、研究センターで2年間修行することを決意しました。
「漆は産地によって特性が違います。塗りやすく乾きやすい加工が施された中国産の漆で試すと、簡単に塗装できましたが、私が塗りたいのは浄法寺漆。品質は最高ですがサラサラとして乾きも遅く、扱いが難しい漆です。それを直径1.4ミリの釣竿の先端に塗るのはものすごく難しかった。カーボン素材の釣竿と浄法寺漆の掛け合わせは、誰も試したことのない未知の領域で、何度やってもうまくいかないし、諦めようと思いました」と振り返ります。
しかし、その後5年かけて苦労の末に完成した稲垣さんの漆塗フライロッドは「グッドデザイン賞2018」を受賞。今年2月には「東京インターナショナルギフトショー」にも出展しました。
● 若手作家の作品を紹介する場が欲しい
漆工作家として活動しながら、若手作家のサポートも行っている稲垣さん。2016年に盛岡駅ビルの地下でスタートした「エキチカの漆市」では、若手作家の販売の機会を広げます。「個人で活動している盛岡近郊の作家さんに声を掛け作品を預かり、仲間を増やしながら県内外の催事で紹介してきました」と稲垣さん。そんな中、駅ビルから事業が撤退することになります。作品紹介の場の必要性を改めて実感する中、浄法寺漆の蒔絵時計を扱う株式会社TMプラネットの田口正さんより「一緒に漆を盛り上げていかないか」と声を掛けられ、昨年6月アネックスカワトクに「漆屋」をオープン。
「緑が丘周辺には多くの作家さんが住んでいるので、常設の紹介ができるいい場所になると思いました」と稲垣さん。器だけでなくアクセサリーなど、高い技術と新しい感性が融合した作品は、評判も上々。「盛岡近郊には技術の高い漆工作家がたくさんいるので、いずれは『南部塗師』とか『盛岡塗師』のような旗印を作り、若手の作家仲間と一緒に漆の町・盛岡を盛り上げていきたい。そのためにも、漆の魅力をもっと知ってもらえるよう活動していきたい」と話します。
人生の大半を持病に苦しめられてきたという稲垣さん。しかし、この持病がなければ仕事を辞めることもなく、漆と出会うこともなかっただろうといいます。「食欲がない時も、漆器で食べると不思議と箸が進みました。入院中も、退院して漆を塗ることを励みに過ごしました。漆のおかげで気持ちが元気でいられたのかもしれません」と稲垣さん。昨年ようやく持病の正体が国指定難病の「クローン病」だと分かり、専門的な治療を開始しました。「持病が漆と巡り合わせてくれたようなものなので、病気も売りにして『難病の漆塗り』としてやっていきます」と力強く話す稲垣さんは今日も漆に向かいます。