● 父のように地域のために
今年4月、開業40周年を迎えた三陸鉄道。東日本大震災や台風などの災害にも屈することなく復旧・復興を果たし、日本一の第3セクター鉄道として久慈駅から盛駅まで163kmをつなぐ大切な地域の足を守り続けています。
「三鉄は沿岸地域の宝です」と話すのは、代表取締役社長の石川義晃さん。宮古市で生まれ、小学校1年生までを宮古で過ごしました。「当時まだ国鉄だった宮古駅が家から近かったので、毎日SLを見に行きましたよ」と石川さん。ターンテーブル状の転車台の上で、大きな列車がくるりと向きを変える光景に心躍ったといいます。「市内に映画館も2軒あって、東映やらディズニーやら子ども向けの映画を随分見ました。銭湯に行ったり、小学校の授業で海水浴をしたり、本当にいい子ども時代でした」と振り返ります。
その後、警察官だった父の転勤にともない宮古市から奥州市、盛岡市と転居。中学生の頃には「地域のために働きたい」と考えるようになっていったという石川さん。父と同じ警察官という選択肢もありましたが、より幅広い仕事ができるのではないかと岩手県庁に入庁。平成22年の教育委員会事務局在籍時は、いわての学び希望基金の創設や学校の早期再開に携わったといいます。「震災からの10年間は、海洋エネルギーの産業化や県の復興計画の推進、台風10号災害対応、沿岸地域の振興など部署は違いますが、沿岸地域との関わりの深い仕事をしてきました」。その後も文化スポーツ部長、政策企画部長として岩手県のために働き、38年務めた県庁の職が終わりを迎えます。
● 退職後に待ち受ける人生最大の挑戦
定年退職後は悠々自適にという方も多い中、石川さんが選択したのは新たな挑戦だったといいます。「三鉄の社長をやらないかとお話をいただきました。県庁でさまざまな仕事をしてきましたが経営はやったことがなかったので大変な仕事だと思いました。それでも、自分の世界を広げたいという気持ちが強かったので引き受けることにしました。県の仕事を通じて知り合った『三鉄一期生』と呼ばれる開業当時から頑張っている人たちと一緒に仕事ができることも、大きな魅力でした」と石川さん。新たな決意を胸にした2022年3月31日の定年退職日には、県庁のエレベーターホールで花束を受け取り、長年苦楽を共にした仲間との別れの余韻に浸る余裕もなく宮古に向かい、翌4月1日、三陸鉄道の社長として新入社員に辞令を交付したといいます。
社長に就任して3年目となる現在、改めて「経営」という仕事についてお聞きすると「次々と新しいことが起きて楽しい」と笑顔に。三陸鉄道の社員、市町村や企業の皆さん、全国の第3セクター鉄道の経営者、そしてのんさんや藤井聡太さんなど、この仕事をしなければ出会えない人たちとつながることができたと話します。出会い、話し、つながることで「ベアレン三鉄40周年記念ラガー」をはじめとするコラボグッズが生まれ、セブンイレブン全店舗での切符取扱い、そして6月には東北銀行とのコラボによる「キキララ」のラッピング車両が登場します。
「しかし、鉄道の維持には経費がかかり、少子化や人口減少で運賃収入だけでは安定経営が厳しい」と石川さん。だからこそ、県や市町村の支援と三鉄ファンの応援に感謝し、支援を努力で補えるよう出会いをチャンスに変えていきたいと話します。「花巻ー台北便」が昨年5月に再開して以来、台湾からの利用者数も増加しています。今年4月には、宮古港に寄港した外国客船「ロイヤル・プリンセス」の乗客約300人が三陸鉄道を利用しました。「海外から船で来てローカル線に乗るというのは、ここでしかできない面白い体験になると思います」と石川さん。今年は8隻の外国船の寄港予定があり、海外の方にも三鉄の旅の魅力を伝えていきたいと話します。
40年という節目を迎え「つなぐ使命」をより強く感じると石川さん。「鉄路の存続への願いが込められた『おらが鉄道』を、次の世代にしっかりと引き継がなければならない」と話します。おなじみの「さんてつトリコロール」の車両が通ると、沿線住民の皆さんが笑顔で手を振ってくれます。地域に愛される三鉄であり続けるために、開業以来ずっと大切にしてきた「一人一人に丁寧に接する三鉄らしさ」をつないでいきたいと石川さんは今日も地域のために奔走します。