熱気球を町の誇りに

熱気球を町の誇りに

インタビュー
一関・平泉黄金の國 バルーンクラブ副会長兼パイロット千田 修一 さん
一関・平泉黄金の國 バルーンクラブ 副会長兼パイロット
千田 修一 さん
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● 実家からの帰り道見上げた空に熱気球

 毎年10月に開催される「一関・平泉バルーンフェスティバル」。「熱気球ホンダグランプリ」の第2戦に位置付けられ、東北では唯一日本中のパイロットが集結する熱気球競技会です。「私たちはバルーンフェスティバルのボランティアスタッフの集まりです」と話すのは一関・平泉黄金の國 バルーンクラブの副会長を務めるパイロットの千田修一さん。2016年のクラブ設立当初からのメンバーです。

 千田さんが熱気球と出会ったのは50歳の時。「父親の介護を終えて実家の前沢から戻る途中、空に熱気球がたくさん浮かんでいて、なんだこれはと。後になってバルーンフェスティバルだったと分かったんです」と千田さん。「それ以来、熱気球が気になっていて、クラブ員募集の新聞記事を偶然見つけてすぐ入会しました」と話します。実は以前から仕事以外に夢中になれる「何か」を探していたという千田さん。「趣味もなくずっと家にいる父親の姿を見て、こうなっちゃいけないと思ってはいたものの、気付けば自分も趣味もなく仕事しかしてこなかった。そんな時に熱気球に出会い、これだと思いました」と振り返ります。

 最初は、ボランティアとして一関・平泉バルーンフェスティバル実行委員会主催のイベントに参加した千田さん。ロープでつないだ熱気球が約20メートル上昇すると、歓声を上げて喜ぶ参加者たち。その姿に千田さん自身も嬉しくなり、活動にのめり込んでいきました。「初めて自由飛行に乗せてもらった時のことも忘れられません。600メートル位まで上昇し、雲の中を通り雲の上に突き出た瞬間、真っ白で真っ平らな雲を朝陽がパーッと照らして、すごい景色でした」と千田さん。次第に自分で操縦したいという気持ちが膨らみ、55歳でパイロットのライセンスを取得しました。

● 一関の空を気球でいっぱいに

「子どもたちが進学や就職で一関を離れても、生まれ故郷には熱気球が飛んでいるって自慢できるようにもっともっと熱気球を飛ばしたい」と話す千田さん。「一関・平泉黄金の國 バルーンクラブ」には、千田さんを含めパイロットは3人。多くの熱気球を飛ばすためには、熱気球の数だけパイロットが必要です。そこで千田さんは、パイロットを育成するインストラクターのライセンス取得に挑戦しています。千田さんがパイロットのライセンスを取得した当時、クラブ内にはインストラクターの資格を持つ会員がいないため、インストラクターがいる栃木県の渡良瀬遊水地で2週間の合宿に参加しなくてはいけませんでした。「私のように合宿で取得すると費用も時間もかかりますが、私がインストラクターになれば一関で取得できるので費用も格段に抑えられます」。インストラクターになるためには、自由飛行を50時間以上行わなければなりません。「4年かけて43.5時間飛びましたので、今年中に50時間をクリアして還暦前にライセンスを取得したい」と話します。

 現在、クラブの最高齢会員は74歳。他のクラブでは80代のパイロットがパワフルに活動しているといいます。「私なんかはまだまだひよっこ、熱気球は何歳からでも楽しめます。シニアの皆さんも一緒に飛びましょう」と熱く話してくれました。今年の「一関・平泉バルーンフェスティバル」は10月11日から3日間の日程で開催予定とのこと。約30機の気球が次々と膨らんで、一斉に離陸する風景は一見の価値があるといいます。不定期で一関・平泉バルーンフェスティバル実行委員会主催の係留体験イベントも行われていますので、想像以上に大きい熱気球のスケール感を肌で感じ、ふわりと大空に浮かんでみませんか。

プロフィール

1965年、青森県青森市生まれ。岩手県立釜石北高等学校卒業後、神奈川県の企業に就職し1994年に転勤で一関市へ。50歳で熱気球と出会い「一関・平泉黄金の國 バルーンクラブ」入会。ハンドルもブレーキもない未完成な乗り物を操りたいと55歳でパイロットのライセンスを取得。「楽をするためならどんな苦労もいとわない」がモットー

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