● 当たり前のことを当たり前にやる
米・園芸・畜産・酪農など、広大な農地の特色を活かし多彩な農畜産物を生産している岩手県。「一部の果物を除き、何でも作れることが岩手の農業の強み」と話すのはJAいわてグループ五連共通会長の伊藤清孝さん。JA岩手県中央会、JA岩手県信連、JA岩手県厚生連、JA全農いわて、JA共済連岩手の会長として県内JA組合員の営農とくらしをサポートしています。
花巻市の米農家の長男に生まれた伊藤さんは、子どもの頃から農業を手伝いながら育ちました。「私の祖父は宮沢賢治から直接指導を受けたそうです」と伊藤さん。花巻農学校を退職した宮沢賢治が伊藤さんの実家の2軒隣に住み、羅須知人協会を設立。伊藤さんの祖父をはじめ近所の青年が毎晩のように集まったといいます。「肥料設計など農業の話をしながら音楽もやったそうです。実家にバイオリンがあったので、賢治先生がチェロで祖父がバイオリンを弾いたんじゃないかな」と話します。 実家の農業を手伝う傍ら、花巻農協に就職した伊藤さん。1年目は営農資材の配達を担当し、翌年には金融部に配属になりました。金融部では集金担当となり、現金を扱うプレッシャーに苦しんだ時期もあったと言います。しかし、当時のJAは結婚式から金融からなんでも行いみんなで分担していました。そのため、伊藤さんも当番制で宿直をこなし、披露宴が入れば黒いベストに蝶ネクタイ姿でボーイもしていたとか。「当時の農協は何でも屋でしたから、与えられた仕事を一生懸命やるので精一杯でした」と振り返ります。当たり前のことを当たり前にできる人間になりたいと真剣に仕事に向き合い、気付けば金融一筋30年、組合員から指名で相談される金融のプロになっていました。
転機が訪れたのは2011年3月11日。午前中に人事異動の内示により、企画管理部長に任命され、その日の午後2時46分、東日本大震災が発災します。「金融の経験しかない私がなぜJA全体の企画を担う企画管理部長なのか、任命に戸惑いを拭えない中で震災が起き、食べる物も着る物もない、人手も足りない中、組合員の要望に必死で対応しました」と伊藤さん。「次から次へとマニュアルにないことばかり起き、何をどうするべきか職員がチームとなり考え動き、最終的に苦情は1件もありませんでした。その時、私は優秀な部下に支えられていると実感しました」と話します。企画管理部長と参事の6年間で、経営や組合員との関わりを改めて学んだという伊藤さん。この経験がなければ、今の自分はないと話します。
●岩手の農業を良くするために
全国的に問題になっている「高齢化と担い手不足」は岩手でも喫緊の課題となっています。「高齢化により問題も出てきますが、ベテラン農家の経験は財産でもあります。例えばJAいわて花巻の場合、高い技術を持つベテラン農家を『農の匠』として認定し、新規就農者や希望者に技術指導を行なっています。若い農家に技術を伝承できるだけでなく、指導する側の活力にもなります。温暖化も農業にとって大きな問題です。このまま温暖化が加速すれば、その土地で育つものにも影響が出ます。もちろん悪い影響だけではありません。岩手では、新たな作物として桃の試験栽培も始めました」と伊藤さん。
また、昨年から国への要望を続けてきた「食料・農業・農村基本法」の改正が四半世紀ぶりに決まり、これまで事実上困難だった経費を価格転嫁できるような法制度化が進みます。「農畜産物は市場価格ですから、売り手が値段を決められません。高騰する燃料費や農薬・肥料代などの経費を価格に上乗せできない現状のままでは、いずれ農業をやる人はいなくなってしまいます。農家を、農業を守るために、団体だからこそできることとして、組合員の声を国政に届けることも使命と捉えています」と伊藤さん。今後も国と連携し、農業が置かれている状況を周知し、農畜産物の価格設定について消費者に理解してもらえるようにする取り組みも重要と話します。
伊藤さんは今後の展望について「まずは農家の所得向上を目指しくらしを豊かにすること。そしてコロナ禍で自粛してきたイベントを復活させて組合員とのふれあいを大切にすること。それによりJAと組合員が一体となり、岩手の農業が元気になるようにしていきたい」と話します。伊藤さんの元気の秘訣は音楽。趣味はギターと歌で、まだまだ続けてもっと上手になりたいと、向上心に溢れています。今後も、農家と地域のために邁進する伊藤さんの挑戦に注目です。