● 諦めずに進んだ音楽の道
南米のハープと称される「アルパ」を優しく奏でながら歌声を披露する、ヴァイオリンシンガー アルピスタの絵美夏さん。楽しげなラテンの音楽と繊細で伸びやかな歌声に心が洗われます。
多彩な音で自分の音楽を表現する絵美夏さん。原点は幼少期の習い事だったと話します。「3歳のとき、ヴァイオリンを習い始めました。演奏できた時は嬉しくて、自由に創作して演奏するのも楽しかったです」と一生懸命にレッスンを受けていたそう。しかし、小学5年生頃になると教師だった父親から勉強に集中するよう言われ、習い事を辞めて塾に通うことに。とても心残りだったと言います。そして、進学後も習い事の再開は叶わず、息が詰まるような日々。そんな絵美夏さんの楽しみは同級生たちとたまに行くカラオケでした。「楽しそうに行くのを見て『歌が本当に好きなら本格的にやってみたら』と母がボイストレーニングに行かせてくれました。通ううちに『やっぱり音楽が好きなんだ』と押さえてきた気持ちが溢れてきて。将来は歌手になろうと思いました」。しかし、父親は猛反対。大喧嘩になってしまいます。「歌で食べていけるわけがないと言われました。でも、どうしても夢を諦められなくて反発してしまいました」と自分の意志を貫き、歌手への道を歩み始めます。
● 生演奏の楽しさを伝えたい
最初は服屋や飲食店、販売、発掘の仕事などをしていた絵美夏さん。どんな仕事でも自分の能力に気づく良いきっかけになったと話します。そんな絵美夏さんを応援したいとイベント関係の仕事をしていた母親から歌の依頼が舞い込みます。「初の舞台で緊張しましたが、自分らしく歌えたと思います。その時、会場に花巻温泉の方がいて、お客さま用のステージで歌ってほしいとオファーをもらいました」と新たなチャンスが訪れます。このステージをきっかけにプロとしての実力を身につけていった絵美夏さん。次第に評判が広がり、結婚式場やパーティー会場などでも歌う機会が増えていきました。
そして、もっと良いステージを届けたいと本場のショーを学ぶため、資金を貯めて渡米。「ショーの規模やお客さまを喜ばせるために歌うアーティストの表現力に驚きました」。それまでずっと自分の歌を聞いてほしいという一心だった絵美夏さん。聴く人を笑顔にできるような歌手になりたいと思うようになり音楽の幅を広げるため帰国後すぐに、東京へ進出します。「ボイストレーナーの仕事をしながらライブハウスやクラブなどで歌っていました。ライブがある時は自分で集客やメンバー集めをしないといけなくて大変でした。時間がなくて忙しかったけど、同級生や知人が集まってくれて嬉しかったです。来てくれた皆さまに楽しんでもらえるよう、私も一生懸命に歌いました」と聴いてくれる人のために歌い方や選曲を工夫。得意のヴァイオリンも取り入れ、ヴァイオリンシンガーとして独自の音楽を生み出していきます。
その後、いろんなジャンルの音楽を取り入れるため、南米の音楽を聴くようになった絵美夏さん。踊りたくなるようなリズムに惹かれ、今度はラテン音楽を学びに南米へ向かいます。「アルパを知って、この楽器の生の音を届けたいと思いました。運良く、友人から楽器を借りられたので、すぐに練習を始められました」と新たな楽器に挑戦。遠方にいる講師の元に何度も深夜バスで通い、帰宅後は何時間も練習に励んだと言います。「続けていればきっとできるようになると信じて指を動かしました。最初はぎこちなくてもしばらくすると少しずつ動かせるようになっていって嬉しかったです」と上達が早く、1年半後にはアルパで奏でる陽気なリズムと軽やかな歌声をステージから届けました。
現在は岩手を中心に全国各地で演奏活動をしている絵美夏さん。「聴いてくれる人がいるからこそ、私は歌うことができます。皆さんが最後の曲まで楽しんでくれるような演奏をしていきたいです」と笑顔で話します。その思いはアルパの音と共に広がっていきます。