● 演じる楽しさとそれを伝える苦悩
昭和スタイルの紙芝居自転車と腹話術人形「けんちゃん」と共に地元の公園に登場した紙芝居師のちーぼうこと小川千春さん。腰につけた小さい太鼓を鳴らすと、楽しげな雰囲気に誘われ、公園中の子どもや大人たちが集まってきます。
今年の春、紙芝居師として公園デビューした小川さん。市民劇団「劇団ゆう」に所属しており、そこでの活動が原点になっていると振り返ります。「小学6年生の春に、旗揚げ公演を見て私もやりたいと思いました。親から反対されましたが、どうしても演劇をやりたくて反対を押し切って入団しました」。そして、大人の団員と一緒に稽古に励み、中学一年生の時に主演の初舞台を迎えます。「本番中、セリフを言い間違えてしまい、劇の世界観を壊してしまい反省しました」と念願の初舞台は苦い思い出に。しかし、その失敗から演者が物語の世界に引き込む大変さを学んだと言います。
高校卒業後は資格を取得し盛岡市内の幼稚園に勤務。出産を機に退職し、劇団で管理する公共施設で働くことに。読み聞かせやお話会など子ども向け企画を担当することになります。「子どもも大人も楽しんでもらえるにはどうしたら良いかと企画のアイデアを出し続けるのが辛かったです」と観客の反応が気になりプレッシャーに。それでもリピーターになる親子も増え、企画がある日はたくさんの人が集まったと言います。
苦労しながら企画を考えてきた小川さん。今度は劇団の理事長が開園する保育園へ異動。保育士として働きますが数年後、保育士業務から離れることに。子どもたちと会える機会が減り、心残りがあったと言います。「どうしても子どもと関わることをしたいと思い、自分だけでできることは何かと考えていたら紙芝居師の存在を知りました。調べると、紙に描かれた絵を見せながら芝居をするのが紙芝居の由来だと知って、これだと思いました」と紙芝居師を目指すことに。すると、話を聞いた旦那さんから紙芝居を披露してみないかと声をかけられます。「旦那さんの仕事の関係でイベントで紙芝居をしました。来てくれた女の子が一緒にいた腹話術人形の"けんちゃん"を見て、最初は怖がっていたのですが、最後にはハグして可愛がってくれたのを見て幸せな気持ちになりました」と紙芝居での初舞台は嬉しい思い出に。もっと子どもたちを笑顔にしたいと決意を固め、自転車や紙芝居の木箱など本格的に準備に取り掛かりました。
●楽しい時間を共有する
この日以降、紙芝居の様子をSNSで次々と発信。投稿を見て幼稚園や保育園、イベントや老人ホーム、町内会や朝市など大人が多い場所からも依頼が舞い込むように。経験を積むため、どんな依頼も受けていましたが最初は大人相手に何をしたらいいか悩んだそう。「反応があまりなくて落ち込んでいると、依頼をくれた施設の人からその場の楽しい空間に一緒にいるだけで良いんだからと言われました。そのときに楽しさを提供するのではなく、私自身が楽しいと思いながら紙芝居を通して“楽しさ”を共有することが大事なんだと気づきました」とさまざまな工夫をするように。「以前はやる前から不安になっていましたが、今はやってみないとわからないと思い、なんでも試すようにしました。シニアの皆さんの前では昔話の紙芝居やお手玉やあやとりを一緒にやると喜んでくれて、誰かと一緒に遊んだのは久しぶりだと声をかけてもらいました」と楽しい空間の作り方が徐々にわかってきた小川さん。楽しさの可能性を広げたいと紙芝居中、どんな演技をするか、お客さんにどんな風に声をかけるか試行錯誤を繰り返します。公演を続けていると、子どもだけでなく「勇気をもらえた」や「がんばってね」と大人たちからも声をかけてもらえるようになりました。
紙芝居は幅広い世代が楽しめる自分にしかできないコミュニケーションツールだと考える小川さん。年代に応じて季節や地域にも合った紙芝居を用意していると言います。「紙芝居師を始めて、いろんな地域の人たちと関わるようになりました。自分の紙芝居とお話で子どもたちや大人の笑顔が見られると嬉しくなります。これからも紙芝居を通してたくさんの人と交流していきたいです」と今後の活動に意欲を見せる小川さん。今日も相棒のけんちゃんと楽しいお話を載せて紙芝居自転車を走らせます。