生きることは楽しい

生きることは楽しい

インタビュー
作家 若竹 千佐子さん
作家
若竹 千佐子 さん
(70)

● 夫の死を乗り越え63歳で作家デビュー

「小学4年生頃かな、図書室の本棚に自分の本が並ぶ人になりたいと思ったんです」と話すのは、遠野市出身の作家・若竹千佐子さん。共働きの両親のもと三人きょうだいの末っ子として育ち「職業婦人になりなさい」という母の期待を背負い、最初は教師を目指していました。「ずっと岩手にいたいと思っていたので、先生でもやりながら小説を書こうと思っていました。でも教員採用試験に受からなかったの。母の期待に応えられず忸怩たる思いで臨時教員を続けました」と話します。そんな不安定な日々を送る中、憧れの脚本家・向田邦子さんの突然の死去が引き金となり「もう採用試験は諦めよう、私には小説がある」と、脚本の勉強をするために上京したといいます。

 上京して半年ほどが過ぎた頃、父からお見合いを勧められた若竹さん。「姉が私にどうせ断られるんだからって言ったんです。悔しいからこっちから断ってやろうと思って会ってみたら、私の話を聞きながら大きな口を開けてワッハッハと笑うような人で気が合って。結局遠野に戻って結婚しました」。しかし、遠野での暮らしには息苦しさが伴いました。「やはり母の期待が重荷で、親の勢力圏を離れて伸び伸び暮らしたかったんです」。そして、決意を新たに関東圏へ移住。やっと手に入れた日々に幸せを感じながらも、底流には小説家になりたいという思いが常にあったといいます。

「本当に幸せだったんですよ。でも55歳の時、夫が突然亡くなって。天は私に仕事もくれなかったし夫も奪った」と若竹さん。悲しみに暮れる姿を見かねて、長男が小説講座に通うことを勧めました。「これから私は自由だ、好きにやっちゃえって半ばやけくそで、四十九日を迎える頃には小説講座に通っていました」。あの時長男が背中を押してくれなければ、半年は家に閉じこもっていただろうと話します。

 ずっと小説家になりたいという野心はありましたが、それまで何を書いたら良いのか自分のテーマが分からなかったという若竹さん。「夫の死とかいろいろなことがあって。経験を通して分かったこと、これを書かずに私は死ねない、自分の思いを曝け出したいという気持ちが初めて湧いてきました」と話します。専業主婦として過ごした時間も幸せでしたが、「やっと所を得た」と感じたという若竹さん。「書いている時は楽しかった。どう表現しようか考えて、この言葉だって浮かんだ時の嬉しさとか、ちょっと詰まって悩んだ時に、ここに展開すればいいと思いついたり。努力って歯噛みしてやるもんじゃないんだよね、好きだから、やりたいから突き詰めていたらこうなったという感覚です」と話します。人生で見つけたことのすべてを注ぎ込んだ『おらおらでひとりいぐも』は、河出書房新社主催の新人賞である文藝賞を史上最年長の63歳で受賞し、翌2018年には芥川賞を受賞しました。

●老いの先の進化を楽しむ

 若竹さんの文体には特徴があります。「普通の書き言葉じゃなくて話し言葉の文章、ハリセンでパンパンってやりながら辻で話しかけるような、そういう調子が良くてしかもグサグサっと突き刺さるような、音で聞かせる文章を書きたい」と話します。「それに私は方言が好き。地の言葉って正直な言葉だと思ってるんです。標準語は背伸びした私、こう思われたい私になってしまう。主人公の内面を深く掘り下げれば掘り下げるほど、遠野の言葉でなければ語り尽くせない。人の思いに介在しない私の内部から出た言葉は、やっぱり方言じゃなければ伝わらない」と続けます。『おらおらでひとりいぐも』は、同級生や近所の方など遠野の人々に喜ばれ、若竹さんと故郷との距離を縮めてくれました。2023年には「こども本の森 遠野」の名誉館長に就任し、遠野市内の小学校で子どもたちと交流を深める日々に、「少しだけ親孝行ができたような気がする」と若竹さんは話します。

「年を取るといろんなことが分かる。若い頃には分からなかったけれども今なら分かるってことがどっさりある。だから年を取ることは面白いと思っている」と若竹さん。若い頃の大失恋も、教員採用試験に合格できなかった試練もすべては人生の実験材料で、結果を積み重ねながら年を取り、今まさに「生きるとは何か」という問いの成案を得る時だと話します。「この先80歳になったらどんなことが分かるんだろうと思うと楽しい、だから結局生きることは楽しいんだな」と若竹さん。萎むのではなく、豊かに広がりながら年を重ねていきたいと話してくれました。

プロフィール

1954年、遠野市生まれ。岩手大学教育学部卒。専業主婦として幸せに暮らす中、夫の死をきっかけに55歳で小説講座に通い始める。2017年『おらおらでひとりいぐも』で第54回文藝賞受賞、2018年には同作で第158回芥川賞受賞。2023年に『かっかどるどるどぅ』、2024年に『台所で考えた』発行。2023年に「こども本の森 遠野」名誉館長就任。2024年11月に2度目となる盛岡文士劇に出演

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