学生のため、地域のため

学生のため、地域のため

インタビュー
学校法人 二戸学園 岩手保健医療大学 学長 濱中喜代さん
学校法人 二戸学園 岩手保健医療大学 学長
濱中 喜代 さん
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●大学の恩師に導かれ重ねたキャリア

 2017年に開学した看護系の4年制大学「岩手保健医療大学」。学長を務める濱中喜代さんは、5人姉妹の四女として生まれ大家族に囲まれて育ちました。「友だちのお姉さんが障がいのある子どもたちの先生をしていて、その姿に憧れて特殊教育の教員を目指しました。ですが、第二志望だった弘前大学の看護の教員を養成する学科に合格し戸惑いました。悩みましたが子どもと関わる仕事がしたいと思っていて、小児看護の第一人者とも言える先生がいらっしゃったので看護の道に進むことにしました」と弘前大学へ看護の真髄を学ぶため故郷を後にします。

 教育学と看護学の単位取得のため、授業と実習に明け暮れた大学生活。ここで出会った2人の恩師が、濱中さんの人生に大きな影響を与えました。その1人が、基礎看護学の吉田時子先生。臨床の現場に出て看護を究めてから教員になりなさいという教えを解き、臨床の技術を厳しく指導してくれました。「先生とのご縁で東京にある聖路加国際病院への就職を決めました。しかし、母は岩手に戻ると思っていて。東京に出るなら岩手に貢献できるようになるまで帰って来るなと激励されました」と振り返ります。

 上京し、聖路加国際病院での勤務を始めた濱中さん。「小児がんの子どもを何人も看取り、本当に辛くて。私は間違った道を選んだのかなと打ちのめされました」と看護の厳しさを痛感。それでも難しい病気を抱えながらも明るく前向きな患者さんとその家族の生き方に胸を打たれ、なんとか踏ん張れたと話します。その経験から小児医療の分野を究めたいと神奈川県立こども医療センターに異動。先天性の心臓病や瀕死状態の子どもたちのケアを通し、看護の仕事の尊さを実感したといいます。  そして、小児看護の奥深さを教えてくれた吉武香代子先生に誘われ、26歳で千葉大学の看護学部文部教官助手となり、今度は教える立場に。「学生の指導をしながら大学の附属病院で子どもたちのケアもでき、指導も臨床もできる環境で教え学ぶことができました」と振り返ります。その後、吉武先生のご縁で東京慈恵会医科大学へ移り、23年間指導に従事。難病の子どもと家族の支援がライフワークとなり、2人の恩師との出会いがなければ、今の人生はなかったと話します。

●自分自身も成長できる尊い仕事

 東京慈恵会医科大学で教授をしていた2015年、濱中さんのもとに岩手に看護系大学をつくる手伝いをしてほしいと連絡がありました。「東京に出る時の母のあの言葉が浮かんで、今がそのチャンスだと思いました」と濱中さん。郷里のために役に立ちたいと仕事を続けながら岩手に通い準備に奔走し、2017年の開学と同時に学部長に就任。「母はもう亡くなっていましたが、きっと私の帰郷を許し、褒めてくれたんじゃないかな」と話します。

 これまで40年以上にわたり教員として学生の成長を見守ってきた経験から「看護は人の人生に深く関わる難しい仕事ですが、得られる物も多く、だからこそ看護する側の私たちを大きく成長させてくれる尊い仕事だということを伝えたい。そして、本学建学の精神でもあるケア・スピリット(自ら進んでケアに向かう姿勢)をそこで暮らす地域の人たちのために発揮できる看護師や保健師になっていってほしいです」と語ります。そして同時に、さまざまな医療専門職と連携し質の高いケアを提供するためにも、4年制大学で看護を学ぶメリットも周知していきたいと話します。

 72歳で現役の濱中さんに元気の秘訣をお聞きすると、週に1度はテニススクールに通い脚力を鍛えているとのこと。「自分の姉妹や同世代の方を見ても、体力も気力もまだまだある方ばかり。今まで培ってきた力を発揮して、地域活性化につなげていってほしい。そして私自身もこれまでの経験を活かして地域のために活動していきたいです」と話してくれました。

プロフィール

1952年、花巻市生まれ。弘前大学教育学部特別教科(看護)教員養成課程卒。聖路加国際病院、神奈川県立こども医療センターで看護師として従事し、26歳で千葉大学看護学部助手に就任。その後、東京慈恵会医科大学教授を経て、2017年に岩手保健医療大学学部長、2021年に学長に就任。座右の銘は、母校の岩手県立花巻北高等学校校歌の一節「至誠天地を動かさん」

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