● 軽米から平庭へ闘牛文化をつなぐ
体重1トンを超える巨大な牛が角を突き合わせる「闘牛」。この闘牛を唯一、東北で見られる場所が平庭闘牛場です。「江戸時代に沿岸から盛岡まで塩を運ぶ際、隊列の先頭を歩く一番強い牛を角突きで決めた習慣が闘牛の始まりです」と話すのは、いわて平庭高原闘牛会副会長の柿木敏由貴さん。柿木さんは、仔牛の中から素質のある牛を見出し、これまで100頭以上の闘牛を育ててきました。
柿木さんが初めて闘牛を見たのは小学生の頃。当時は軽米町で開催されており、父親と何度も見に行ったといいます。
「当時、新潟トガイという軽米生まれの伝説の牛がいて、新潟でも沖縄でもチャンピオンでした。試合の迫力と、牛を制する男衆(勢子)の凄まじさが印象的で、今でもはっきり覚えています。しかしトガイは、その強さを妬んだ対戦相手の関係者に硫酸をかけられるという、痛ましい事件に巻き込まれました。それでも最後は故郷の軽米に戻り、顔半分がただれていながらもなお強さを誇った、本当に忘れられない伝説の牛です」と懐かしそうに話します。
軽米町で闘牛が行われていた頃は、食用の雄牛の中から素質のある牛を育て、闘牛に出していました。しかし、肉質を柔らかくするために去勢する飼育方法が一般的になると純粋な雄牛が激減し、軽米町の闘牛は衰退していったといいます。
数年後、闘牛を残したいという有志の働きで平庭での闘牛が始まり、その活動は昭和58年から久慈市の観光行事として行われるようになります。「高校生の頃から勢子として大会に出ていますが、当時は頭数も少なく大きな牛もいませんでしたね」と柿木さん。そんな平庭闘牛を盛り上げようと、当時柿木さんの叔父がオーナーとなり、私財を投じて体の大きな闘牛を揃えたといいます。「その頃からお客さんの反応も良くなり観客数も増えました。損得関係なく牛が好きだからやっちゃう、叔父も私もみんな牛バカなんですね」と笑います。

●牛の本能の角突きを見て楽しんでほしい
柿木さんが副会長を務める「いわて平庭高原闘牛会」は、約20人の勢子と牛のオーナー、そして闘牛会を応援するサポーターで構成されます。年4回行われる場所には、毎回千人以上の闘牛ファンが足を運びます。
「牛は本能的に角で突き合い、群れの中での優劣をつけます。その自然な姿も見せながら、両牛が十分に力を出し切ったら引き離し、どちらも頑張ったねと互いの健闘を称えます。どっちかが血まみれになるまで戦うわけじゃなく、牛の頑張りに拍手して終わります。牛も戦いたくない時は戦いませんし、負ければ傷つきます。戦いたい気持ちは活かし、プライドは折ったりしないようにしているんです。何よりも『牛の気持ちを汲む』のが勢子の見せ所。『頑張れ』と声をかけると奮い立つ牛もいますし、逆に今日はやる気がないなと感じる子には無理をさせない。牛も人の心を読み取るんで、そこも見どころですよ」と柿木さん。
5月のわかば場所では2、3才牛のデビュー戦を、6月のつつじ場所以降は本格的な迫力ある闘牛を繰り広げ、会場は熱気で包まれます。「推しの牛はもちろんですが、最近は勢子を応援してくれる方もいて嬉しいですね」と続けます。家族連れや女性のお客さんも増え、実況解説をするなど誰でも楽しめるような工夫がなされているといいます。
牛を愛してやまない柿木さんの楽しみは、全国の闘牛仲間との交流。「全国の牛バカが集まる全国闘牛サミットというイベントが、来年久慈で開催されます。車やバイクの話をするように時間を忘れて牛の話で盛り上がる。私にとっては最高の時間です」と笑顔に。
かつて、塩や鉄を運んでいた南部の牛たちは現在“闘牛”という形で、人と人、地域と人をつなぐ大きな役割を果たしています。「やりたいからやる」「関わりたいから手伝う」柿木さんが「損得を超えた祭りのようなもの」と語るこの大会には、みんなで楽しもうという温かな雰囲気が流れ、どこか懐かしく、心を揺さぶる力がありました。
「シニアの方は、昔の荷運びの話や、牛が地域の産業を支えた背景を知れば、より面白いと思います。“観て、語って、笑って、また次を楽しみに元気でいてもらえたら嬉しいですね。『自分も何かやってみよう』って気持ちになってくれたら、なお最高です」と柿木さん。平庭闘牛大会はまもなく5月に開催します。