奇想天外な話を知った時、面白がってハイおしまい、ではつまらない。その謎めく説話が何を意味するのだろうとじっくり空想・妄想する方が数十倍も楽しい。例えば『遠野物語』には119話が、そしてその追加続編ともいうべき「遠野物語拾遺」には299話が織り込まれている。この計418の話を一つずつ題材にし、週に1話ずつ謎解きしていけば、なんと8年間、謎学探求を満喫できる。
かつて私は雑誌取材で「遠野物語拾遺」第228話に出て来る話を深堀りしてみたことがある。
「附馬牛(つきもうし)村の某家の古老が、数年前に大蛇を殺した砂沢べりで銀茸に似た茸を見つけた。煮て食おうと採っていると〈油させさせ〉と声がする。それで煮る時に油を入れて鍋を作り賞味した。後に近所の若者たちもその見事な茸を採り、煮て食ったが、十人中九人が死んでしまった」
大蛇を殺すと蛇は祟り、毒茸となって人に怨みを晴らそうとするという話が佐々木喜善(きぜん)著『老媼夜譚(ろうおうやたん)』にもあるが、おそらく当時この考え方は当たり前に信じられていたものと思われる。この話もそれに類する一つなのだろう。ただ解せないことが多い。
まず〈油させさせ〉とは誰の声で何を意味するのか。油で茸の毒が消せるのだろうか。消せるとしたらそれは一体どんな種類の油なのか。「銀茸に似た茸」の正体も不明である。そもそも大蛇を殺した古老ではなく、どうしてそれを聞きつけ、後日採りに行った若者たちが中毒死しなければならないのか。祟りなら古老にあって然るべきではないのか。
長年の山暮らしでなんらかの知恵を得ていた古老は、まさに老婆心から若者たちにその知恵を伝えた。しかし若者たちは聞く耳を持たなかった。いつの時代も先人の進言を煙たがる。 「古いですよそんな話」「まったく今どきの若い者ときたら」…明治大正あたりの遠野でもそんな世代間軋轢はあったのだろう。それを題材にした戒めの昔語りだったのか。
謎に迫るため〈砂沢〉を探しに出かけた。だが手元の地図に〈砂沢〉の文字はない。遠野営林署に頼ったが〈砂沢〉を記した専用地図にも見つからない。消えた地名。それとも過って伝わったのか。
採話した佐々木喜善が口伝えしたなら、訛ったまま柳田国男に伝わった可能性がある。シがスになるパターンだ。あるいは喜善さんが手書き原稿で伝えた場合、喜善さんが字を書き違えたか、柳田先生が読み違えて誤転記したか…。
しかし、調べてみても砂と間違いそうな字を使う沢名に現実味あるものはない。困った時こそ現地調査だと出かけてみた。そして分かったのは附馬牛地区の沢の多くが山砂の堆積する沢だったこと。ここでピンと来た。〈砂沢〉とは固有名詞ではなく、特徴を表す仮名をあえて用いたのではないのか。…仮説を携えて現地に立つ。これが謎学探訪の醍醐味と感じた瞬間だった。(つづく)