遊具のシーソーは「ギッタンバッコン」か「ギッコンバッタン」か。「シャベル」と「スコップ」はどっちがどのサイズを言う?「おたま」「しゃくし」「ひしゃく」の違いって?いずれも混同され、人によって呼び分けが違う。正しい使い分けは当然あるはずだが土地や世代による呼称も間違いとは言えない。
岩手や東北の一部では、ごみをナゲル、布団をトル、髪をケズルなどと当たり前に言う。私は仙台の学校に進学した直後、ひげがオガル、鉛筆の芯がツットガルと呟いて周囲から失笑を買い、顔から火が出る思いをした。40年以上前のことだが今も忘れられない。これらは土地による違い。つまり方言だが、お国言葉なんて違っているほど面白いと今なら言える。
土地の違いに加えて世代による違いが混ざる呼び方もままある。昭和半ば生まれの宮古人である私は「トング」のことを「デレッキ」と呼ぶ。正確には大ぶりのトング状のもの、昔の火バサミである(さらにルーツを辿れば火かき棒に行き着く)。だが同じ宮古人でも近年の人たちは「デレッキ」を知らない。
「じゃんけん」の差は世代によるものなのだろうか。「じゃんけん」の次に続くのが「ぽん」なのか、あるいは「ぽい」なのか。さらには「ほい」なのか…という差である。この差も世代が関係している気がする。「じゃんけん」自体を「ちっけった」と呼ぶ世代もいるようだ。ちなみに私の父親は港町宮古で昭和10年に生まれた89歳なのだが、なぜだか「じゃんけん」のことを「きゃあんで」と呼び、その掛け声のリズムは「きゃ、あん、で」だ。どうして「きゃあんで」と呼ぶのか、語源はキャンデーなのか確認しても「わがんね、とにかぐそうだった」と、にべもない。
子どもの頃に「ガリジュー」と呼ぶ氷菓子をよく食べた。いわゆる細長いビニール入りのジュースがあって、これを凍らせたものである。今もこれは健在らしいので岩手県内外のいろんな人に聞いてみたが、誰も「ガリジュー」を知らない。そう呼んだアイスは知らないというのだ。ふと「ガリジュー」も宮古弁だったのかとハッとした。だが同じ宮古人でも、ある年代より若くなると「ガリジュー」とは呼ばず、「ぽっきん」とか「ぱっきん」と呼んだと知った。改めて現物を見てみるとパキンと二分できる形状になっている。だから「ぽっきん」か。そうだ、確か私たち世代の「ガリジュー」は真ん中で二分する形にはなっていなかった。単にジュースを凍らせてガリガリ食べるから「ガリジュー」。ちょっと腑に落ちた。
何の気なしに呼んでいる言葉が、ふとしたタイミングでそれが当たり前でないと知り、新鮮な驚きとなる。調べようもないが、その変化の発端に何があったのか。単なる言い間違いが根付いてしまったのか。そう考えると言語の文化などとても可愛らしいとさえ思えてくる。