【揺れる盛岡藩】ハシノ君の盛岡藩刀

【揺れる盛岡藩】ハシノ君の盛岡藩刀

風のうわさ
風のうわさ イワテ奇談漂流

高橋政彦さん

 友人の一人にハシノ君という好青年がいる。何を思ったか、いつからか彼は抜刀術を修練し、時おりその見事な腕前を披露する人になった。どうしたらこういうことを趣味にしようと思うのか。ハシノ君を観察してわかった。武士然とした彼の佇まいである。そうか、おそらく彼の前世は侍なのだ。

 そんな彼は自前の真剣も持っている。新造品ではなく、盛岡藩の武士が所持していた歴史を持つ古の刀だ。ひどく興味を持った私はハシノ君に所持する刀について細かく聞いてみる。

 一振り目は、新藤國義(しんどう くによし)作の【奥州盛岡住國義】。筑前福岡の生まれの新藤國義は、江戸に出て鍛刀をしているところ、盛岡藩3代藩主・南部重信に見出され、五十駄の俸禄で召し抱えられた盛岡藩初のお抱え刀匠なのだという。1681年に居を盛岡に移した新藤國義は、下小路で鍛刀に従事。その後、新藤家は幕末期の8代・義國まで、約200年に渡って盛岡藩の第一刀匠として主導的役割を果たした由緒ある一族である。

 説明を聞かされて、彼はとんでもないお宝を持っているのだと驚いたのだが、それにも増して、私がとても興味をそそられたのは、もう一振りの刀の方であった。 「これは【武庫刀】。読んで字のごとく、盛岡藩が戊辰戦争に備え大量に製造し、武器庫に保管していた備品刀なのです」と、彼はやや興奮しながら教えてくれた。よく見ると「武庫」の彫りの上に、現在も盛岡市役所に記されている盛岡市の市章が刻まれている。後になって市章に採用されたが、実はこれ、もともと盛岡藩の家紋の一つ「違い菱」なのだそうだ。「向かい鶴」しか藩の家紋を認識していなかった私は頭をかいて話の続きを聞いた。

「本来、このような彫りは柄の中の茎に掘られるのが一般的。しかし、わざわざ見えるように刀身に掘られている。なぜだと思いますか」  もちろん、私に答えられる知識はないし、想像もできない。ハシノ君は居住まいを正して言葉を続けた。

「盛岡藩が管理を徹底していたためか、あるいは…」わずかに間を開けて彼は目力を強める。

「脱藩し、新政府軍に寝返った者がいたら、一目でわかるようにしていたか…」  ドキッとした。こういうものは他藩では見られず、歴史資料的にも面白い刀といえるそうだ。そうなのか。ハシノ君が偶然ネットオークションで発見したというこの逸品が示すのは、あの幕末の動乱期というものが、いかに盛岡藩にとって脆弱だったかということ。結果としては幕府側に付くことを選んだわけだが、その裏でよほど佐幕か勤王かに揺れ惑っていた、その証しなのではなかろうか。

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