前号に続き、「肴町界隈」をご案内いたしましょう。
1884(明治17)年に起きた「河南大火」での焼け跡から商店街として勃興した肴町は、さらに1890(明治23)年の東北本線開通による盛岡駅開業が追い風となりました。大通商店街がまだ存在しなかったこの頃は、開運橋、仁王地区から内丸を経て、中の橋、肴町、八幡町という流れが出来たため肴町は名実共に盛岡一の商店街になったのです。平金商店が1767(明和4)年、永卯商店が1840(弘化年間)年代、榊呉服店が幕末の創業。明治の創業となるとさらに増え、若松本店、いさごだ、スズエ印房、イズミヤ、竹原茶店が続きます。比較的遅く創業した東山堂でさえ1905(明治38)年ですから、優に100年を超えています。
肴町における老舗中の老舗は「御釜屋」でした。初代小泉仁左衛門は京都の人で1659(万治2)年、南部28代重直公に釜師として召抱えられ、肴町に工房を構えました。櫻山神社前の鶴ヶ池畔に現存する時鐘は仁左衛門の作です。主として茶釜を中心に作っていましたが、三代目の時に鉄瓶を考案、これが「南部鉄瓶」の誕生でした。2004(平成16)年清水町に移転するまでの約350年間、この肴町で技が受け継がれてきたのです。1857(安政4)年創業の村源薬局の店頭には、仁丹や大学目薬など時代を感じさせる名入り金文字看板が左右に掲げられています。現存する建物では永卯商店が大火後の1887(明治20)年竣工で最も古く、それに続くのが1923(大正12)年に建てられた川村洋物店(閉業)です。いずれも古さを感じさせない、上品で風格ある店構えをしています。
肴町の歴史を語るとき忘れてはならないのが「川徳」です。1875(明治8)年、創業地の鉈屋町から肴町に進出し、1980(昭和55)年に菜園へと移転するまでの105年間隆盛を極め、肴町商店街の核として重要な役割を担ってきた老舗といえるでしょう。
8月4日から肴町恒例「盛岡七夕まつり」が始まります。ホットライン肴町アーケード内をそぞろ歩きしながら、七夕飾りを楽しんでみませんか。