前号に続き、盛岡市とビクトリア市(カナダ)の姉妹都市提携10周年にあたる1995(平成7)年に整備された「ビクトリアロード」を歩いてみます。

下の橋から中の橋に至る盛岡城跡に広がる芝生公園は、藩政時代には南部家の重臣屋敷や隠居した側室方の隅御殿などがあった所です。維新後は起業の拠点となる勧業場が置かれ、製糸所、陶器所、製紙場、物産陳列所、機業所などが配置されました。1876(明治9)年には東北行幸中の明治天皇が視察しています。
昭和30年代には、岩手日報旧本社、ラジオ岩手(現IBC岩手放送)、貯金局、杜陵高校などがあったなあと遠い記憶をたどりながら歩くと、2匹の鮭の彫刻「友情」①が見えてきます。姉妹都市提携25周年に当たる2010(平成22)年に設置されたことが、プレートに刻まれています。
さらに進むと、中の橋のそばに年中つきっぱなしの「ガス燈」②があります。案内板によると、ガス燈の創始者は南部藩士とのこと。1855(安政2)年、南部藩医師・島立甫(しま りゅうほ)が江戸亀戸の自宅で照明として灯し、同じ頃に南部藩士・大島高任(おおしま たかとう)もガス燈を灯したと記されています。
交通量の多い中の橋通りの横断を避け、少し戻り河川敷から橋の下をくぐりましょう。この辺りには明治から昭和中期まで料亭や洋食店があり、政財界人や高級官僚たちの社交の場になっていました。現在のテレビ岩手の場所にあった「秀清閣多賀」は、盛岡出身の平民宰相「原敬」ゆかりの料亭として知られています。
テレビ岩手裏の庭園にはブロンズ像「杏」③、市庁舎の裏手には彫刻「笛吹き少年像」④が散策する人の目を和ませてくれます。どちらも舟越保武の作品です。少年像の左には、姉妹都市提携の記念に植樹された「ダグラスカエデ」⑤がそびえています。
そして今回の終点は、ちょっと難しそうな顔で与の字橋の袂に建つ「新渡戸稲造像」⑥です。延長830mの短い散策路ではありますが、四季折々の自然と積み重なった物語をお楽しみいただけるコースです。姉妹都市提携40周年を祝して「ビクトリアロード」だいたい2000歩のみちくさでした。
(後編へ続く)

