【篠倉山 (しのくらやま) 568.6m】「小○」の旗をかかげ

【篠倉山 (しのくらやま) 568.6m】「小○」の旗をかかげ

ほくほくトレッキング
阿部陽子のほくほくトレッキング
(公社)日本山岳会岩手支部 支部長 阿部陽子さん

 三陸自動車道の釜石JCTを南下して間もなく、篠倉山の文字が眼に飛びこむ。その瞬間、170年前の三閉伊一揆に意識がパーンと飛ぶ。

 1853年、南部藩の重税にあえぐ農民・漁民・女性など幅広い年齢層が、襤褸(らんる)の旗「小○」をかかげて立ち上がり、「もはや南部の地には住めない。仙台藩の領民として受け入れてほしい」と訴えた。もとより脱藩は重罪だ。にもかかわらず田野畑を発った二千人の一揆勢は、宮古から遠野をへて浜街道を釜石まで南下するうちに一万六千人にふくれあがった。この篠倉山を越えさえすれば仙台領の唐丹に辿りつく。だが死を賭した過酷な歩みだ。赤白のたすきを掛け、着の身着のままで草履はボロボロ、食料不足や野宿の厳しさはいかばかりか。藩境をまたいだ生存者は半分の八千人に減っていたという。

 田野畑村民族資料館で見た三閉伊一揆の旗印が衝撃的であった。「小○(こまる)は困る」の意味だ。シンプルな絵文字なら字を読めぬ者でも事の本質を直感的に見抜く。藩の悪政に物申す一揆の意図は、疾風のごとく伝播したであろう。

 登り口は、標高420mの鍋倉峠である。五葉山の楢ノ木平登山口へ向かうヘアピンカーブの草地に車を止め、向かいの尾根にとりつく。ニホンシカの棲息地らしく、涼やかな林間がどこまでも続いて歩きやすい。雑木から松の林層に変わるころ松倉山に到着。その先の稜線を3㎞東進すると篠倉山の山頂だ。二つの峰を往復して5時間かかる。

 山歩きで自然を謳歌する現代の登山者は、快適な衣服を着て優れた登山靴を履く。食料も飲み水も充分ある。さらに山頂直下を貫くトンネルにより、篠倉山の存在は一揆から少し遠のいた。

 だからこそ「小○」の旗を忘れてはならぬ。篠倉山にまつわる時代背景を噛みしめながら登りたいと思う。

篠倉山(左)がある限り、南部領民の流した汗と涙は永久に記憶される。松の稜線は松倉山

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