時代劇の戦闘シーンで、敵の攻撃をもろともせずに駆けまわる馬は、雨嵐とふる矢をかいくぐり、勇壮果敢に突進する。「傷だらけの馬は大丈夫だろうか」と憂えるが、ふと、盛岡市の繋温泉神社の由緒書き「繋の湯で義家は愛馬の傷をいやした」を思いだした。
湯ノ館山は「湯」と「館」がキーワードである。安倍貞任に対する源義家は、厨川柵を見渡す好位置の湯ノ館山に陣を張り、館の直下150mに湧く薬効あらたかな湯ノ沢を知った。高さ350mの湯ノ館山に立てば、眼下に流れる雫石川、雄大な雫石盆地、北の奥にそびえる岩手山や奥羽の山々をずらっと見渡せる。そして貞任が護る厨川柵は東方にある。10年にわたる前九年合戦は、かくして「湯と見晴らし」を手にした義家に軍配があがり、1062年に安倍一族は滅ぶ。
コースは二つ。温泉施設の清温荘の右手から急な階段を20分登り、小さなピークに立つ。ここは、繋温泉神社の裏から登るコースと、山頂へ向かう路の三差路で、温泉街と御所湖を見渡す絶景ポイントだ。ゆっくり呼吸を整えよう。

湯ノ沢に落ちこむ尾根と谷はどこも急で危うい。下りの尾根を読み間違えると厄介なので、山頂から標高310mまで東進し、南西の尾根を下れば効率よく林道にでる。下山後は、温泉街の粋なおもてなし「足湯」に浸かる。
「猫石」にまつわる伝説が面白い。貞任に追い詰められ兵糧に窮した義家軍は、山の植物や動物を殺生して山中に残骸を捨てた。骨や肉片は巨大な猫石に化け、義家の愚行を戒めた。大きさが今の5倍もあった「猫石」を敬い、赤飯をあげてお祭りする人がいたらしい。
地表を掘りおこした無数の痕跡を見た。ミミズや虫をさがすイノシシの仕業だろうが、突進されたらまずい。熊や鹿と違うドキドキ感が不気味だ。
