アイヌ語・アイヌ文学の研究で大成した金田一京助は、1882(明治15)年5月5日、盛岡に生まれました。盛岡中学校(現 盛岡第一高校)の後輩石川啄木と生涯にわたる友情を育んだことでも知られています。1954(昭和29)年に文化勲章を受章、1959(昭和34)年には盛岡市名誉市民第一号となりました。
アイヌ研究に打ち込むきっかけとなったのは36歳の頃、旭川での知里幸恵(ちりゆきえ)との出会いでした。幸恵はアイヌの叙事詩であるユーカラを採集しローマ字で表記し和訳する作業に従事、京助はその仕事を援助することになったのです。幸恵は女学校を卒業した後、独学でアイヌ語とユーカラの研究を続けていました。それまで、アイヌ女性の手で編まれたユーカラ和訳本は存在しませんでした。
幸恵は文才にあふれた女性でしたが病弱で、1922(大正11)年9月、19歳3カ月の若さで亡くなりました。翌年京助は幸恵が編集した『アイヌ神謡集』を出版したほか、雑司ケ谷(ぞうしがや)霊園にある金田一家の墓地に葬りました。その後、幸恵の墓は生誕地近くにある北海道の登別(のぼりべつ)に移されました。
