● 選手から指導者へ ラグビーで恩返し
2年連続37度目の花園出場を勝ち取った、岩手県立盛岡工業高等学校ラグビー部。「最後まで諦めず、がむしゃらに走り抜き、すごい子たちです」と、小原義巧(おばら のりよし)監督は勝利の瞬間を振り返ります。
ラグビーが盛んな北上地区で生まれた小原監督は、小学1年生でラグビーのスポーツ少年団に入団しました。中学ではサッカー部とアルペンスキー、冬季の特設ラグビー部を掛け持ち、高校では2年連続で花園に出場しベスト8進出。大学でもラグビーを続け、卒業後はセコムラガッツ、釜石シーウェイブスでプレーするなどラグビーと共に人生を歩んできました。
しかし、ここまで順風満帆だったわけではないという小原監督。「セコムラガッツ退団後、会社員をやっていた時期がありました」と話します。完全燃焼したつもりで会社勤めをしていましたが、ラグビーのない日々はうずうずとした気持ちとの戦いだったといいます。そんな姿を見かねた奥さまの「もう一度、頑張ってみれば」という一言が背中を押し、釜石シーウェイブスへの入団を決意。「復帰と同時に、プロの選手を終えた後の自分に何ができるか真剣に考えました」と小原監督。ラグビーに育ててもらった恩返しがしたいと、選手との二足の草鞋で教員免許取得を目指しました。「ところが社会人が教員免許を取るのは大変でした。教育委員会や大学に掛け合って、取れたのは奇跡ですよ」と小原監督。チームの理解と家族のサポート、そして大学の恩師のおかげで今があると話します。
釜石シーウェイブスを退団し、2015年に盛岡工業高校に着任、翌16年にラグビー部の監督に就任。「勝てずにいた時期にチームを引き継ぎ、なんとかしなくてはというプレッシャーはありました。ただ、若かったせいか根拠のない自信もありました」と笑顔を見せます。ラグビーを通じて喜びも困難も分かち合える仲間と出会い、絆を深めてほしいという思いを胸に、母校ラグビー部の立て直しに力を注ぎました。
●2年連続の花園で ベスト16を目指す
監督就任当時、予選敗退が続いていた盛工ラグビー部。「高校からラグビーを始める選手がほとんどで、人とぶつかり合うタックルの恐怖心を克服することから教えなければなりません」。経験者の数が圧倒的に少ない現状に、勝てない理由を環境のせいにしていたかもしれないと小原監督は話します。強い盛工の復活を目指し、グランドに足を運び練習を見守るOBの姿もありました。ある日、前同窓会長の故 吉田昭夫氏が生徒に発した「耕しもせず撒きもしないで他人の収穫をうらやむな」という言葉にハッとしたという小原監督。「勝っているチームをうらやむ前に、コツコツと練習しなければと気付かされました」。以来、この言葉を胸に刻み、日々の練習を大切に人間力の高い選手を育てる指導に徹しているといいます。
ラグビーは人間として成長できるスポーツだと話す小原監督は、挨拶や言葉遣いなど社会人としてのマナーを最初に指導します。グランドでもリスペクトに欠けるプレーや言葉はすぐ制止し「人としてどうなのか」を問い、どんな状況でもつぶれない人間力を鍛えます。「私が盛工にいた頃とは練習内容も環境も全く違います。自分の経験プラス時代の変化や生徒の性格に配慮しながら、一歩踏み出す勇気や最後まで諦めない粘り強さを育て、社会に出てからも成長し続けてくれたら嬉しいです」と小原監督。人づくりに重点を置いた地道な練習を積み重ね、2連覇を果たしました。
年の瀬が迫る12月27日から、東大阪市花園ラグビー場で「第105回全国高等学校ラグビーフットボール大会」が開催されます。「ベスト16を目標に、最後の大舞台に挑みます。全国大会では一番体の小さいチームですが、大きい相手にひるむことなくタックルする泥臭い姿を応援してほしい」と、意気込みを語る小原監督。高校でラグビーと出会い、人として一歩一歩成長しながら最後まで諦めずに勝ち取った花園への切符。ラグビーを見たことがない人にも勇気や感動を届けられるプレーを誓う盛工ラグビー部に、岩手から熱いエールを送りましょう。




