ボウリングが恋人

ボウリングが恋人

インタビュー
AMFワールドカップ 元日本代表 久慈 順子さん
AMFワールドカップ 元日本代表
久慈 順子さん
(74)

撮影協力:盛岡スターレーン

● 日本代表選手として国際大会で活躍

 1983年の「AMFワールドカップメキシコ大会」に日本代表として出場し、40歳でナショナルチームに入団した岩手出身・在住のボウラー久慈順子さん。「アジアシニア選手権大会」に8回出場し、そのうち6大会で優勝を果たすなど輝かしい戦績を残しています。

 ボウリングとの出会いは20歳を過ぎた頃。職場の交流会で、盛岡駅前にあった「盛岡スバルボウル」を訪れたのがきっかけでした。練習に通ううちに事務として働くことになり、仕事が終わればすぐに練習できる理想的な環境でしたが1976年に惜しまれつつ閉場しました。その後は、現在の練習拠点の「盛岡スターレーン」などで練習を重ね、大会に出場するようになった久慈さん。「県内外の選手とスコアを競うのが楽しくて、片っ端から試合に出る中で技術を磨いていきました」。そんな中、1983年の「AMFワールドカップ全国決勝大会」で優勝し、メキシコ大会の切符を掴みます。1990年にはナショナルチームのメンバーに選ばれ、翌年の「第8回極東ボウリング選手権大会(女子3人チーム戦)」では準優勝。世界8カ国の大会に出場し、何度も優勝してきた久慈さん。中でも記憶が鮮明なのは2013年にオーストラリアで挑んだ「アジアシニア選手権大会」。「5部門中4部門で優勝できたのに、ダブルスだけがダメで4位でした」といまだに悔しそう。現状に満足することなく、向上心を持って50年以上ボウリングと向き合い続けてきました。

● けがから復帰し新たな目標に挑む

 ところが6年前、リーグ戦の最中に久慈さんを激しい痛みが襲いました。「残り1ゲームだったので何とか最後まで投げましたが、右肩腱板断裂で手術しました」。とにかくボウリングができるようにという久慈さんの希望に、医師は通常1本で縫う糸を2本で対応したといいます。術後も8カ月頃までは痛みで腕を動かせず、出場予定だった「アジアシニア選手権大会」を断念。休むことで筋力が落ち、一時は辞めることも考えましたが、不格好でもいいからとボウルを投げ続ける中で徐々に回復したといいます。「衰えは感じますがストライクが出るとスカッとするし、時々スコアが260点なんて出ることもあるから辞められないですね」と久慈さん。「大会でしか会えない仲間も多いので『オールジャパンレディストーナメント』とシニアの大会だけは出たい」とまだまだ挑戦を続けます。

 週に2日は雫石町から車で「盛岡スターレーン」に通う久慈さん。週末は大会が入ることが多く、70歳を過ぎた今もボウリングは欠かせません。ボウリングを続けて良かったことは、体力作りと集中力が養われたこと、そしてなにより人付き合いだと笑顔で話します。何歳になっても楽しめるボウリングで体力と気力を養い、新たな仲間を作ってみませんか。

AMFワールドカップ 元日本代表 久慈 順子さん

当時の久慈さんの投球写真

プロフィール

1949年、雫石町生まれ。岩手女子高等学校卒業後、事務職などを経て趣味と実益を兼ねて「盛岡スバルボウル」に勤務。1983年「AMFワールドカップメキシコ大会」に日本代表として出場。1990年にナショナルチームに入団し、1991年「第8回極東ボウリング選手権大会(女子3人チーム戦)」で準優勝。気持ちも若返るミニのユニフォーム姿でボウリングをするのが元気の秘訣

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