第105回 〜みちくさ編〜 盛岡農学校物語(前編)

第105回 〜みちくさ編〜 盛岡農学校物語(前編)

もりおかいにしえ散歩
もりおかいにしえ散歩

案内役 真山重博さん

 岩手における高等教育の歴史は、岩手県立盛岡農業高等学校の前身である「獣医学舎」から始まりました。そこで今回は、盛岡農学校(現 盛岡農業高校)の長い歴史をひもときながら、いつもとは一味違う時空間散歩に出かけてみます。

盛岡農業高校(盛岡農高校) 地図

「獣医学舎」は、1879年8月、現在の盛岡市玉山薮川に開設された県営外山牧場内に開校しました。外山地区は牧畜や獣医育成の場としては実践的なロケーションかもしれませんが、生徒どころか教師を集めるのも苦労しそうな極寒の地。記録によれば、開校当時の生徒数はわずか3名だったそうです。翌80年11月には、内丸にあった勧業場敷地内(現在のもりおか歴史文化館横の芝生広場の辺り)に移転します。

 藩制時代から南部の地は馬産が盛んでしたから、岩手県となった後も馬産を中心とした牧畜は重要な産業として位置づけられ、それに欠かせない獣医の育成が急務だったのでしょう。84年には名称も「岩手県獣医学校」と変わります。

 88年には、農業技術と畑作経営を学ぶ「岩手農事講習所」が創設されました。そして、99年に「岩手県獣医学校」と「岩手農事講習所」が合併。校名も「岩手県立農学校」と改め、校舎を菜園に新築移転し、農科100名、獣医科60名の定員で菜園校舎時代がスタートしました。1908年には、東宮殿下(後の大正天皇)が来校しています。その後、23年には「岩手県立盛岡農学校」と改称。校舎と実習農園があった場所は現在の菜園地区、カワトクから映画館通りに至る一帯です。

 幕末期、この辺りは南部38代利済公が野菜畑や藩士の屋敷などをつぶして遊園地を造成、「曲水亭」なる茶屋や「蓬莱馬場」があった場所。明治維新後は岩手の馬産振興、品質改良を目的として馬場跡に一周約800メートルの競馬場が開設され、盛岡初の競馬が開催された場所でもあります。

 当時の農学校実習田の写真には、競馬場だった頃の白い柵が写りこんでいます。野村證券盛岡支店の映画館通り側にある「この地に岩手県立盛岡農学校ありき」と記された碑は、卒業生である元県知事、故中村直氏の揮毫によるものです。

(後編へ続く)

この記事をシェアする

Facebook
Twitter
岩手の先人こぼれ話シリーズ
学び

原敬暗殺と東京駅

風のうわさ イワテ奇談漂流
学び

【怪談考2】怪異体験者から生で聞く《実録怪談》

岩手の先人こぼれ話シリーズ
学び

波乱万丈な生活を送った井上ひさし