● つい足が向く博物館を目指して
県政百年を記念して1980年に開館した岩手県立博物館。マメンキサウルスの全身骨格標本を目当てに、お子さんと訪れた方も多いのではないでしょうか。保有する博物館資料の総点数は34万7298点におよび、そのうち約2000点が常設で展示されています。
「収蔵庫にある資料を全部お見せしたい」と話すのは、館長の髙橋さん。来る度に新しい発見がある展示になるよう見せ方を追求しています。「岩手には技術の高い剥製師がいるので剥製で生き物展をしたり、仏像や新日鐵のジャージなど『赤』をテーマに企画展をしたり。職員全員が知恵を出し合い納得のいく展示会や事業を実現してくれるのが嬉しい」と話します。館長に就任して7年。顔なじみの利用者から「博物館変わったね」と嬉しい言葉をいただく機会も増えました。
着任時、入館者数の少なさに驚いたという髙橋さん。「面白ければ足を運んでくれる」という信念のもと、独自のイベントを次々と開催。「博物館のレンガを背景にクラシックカーを展示したら映えるだろう」と考えた「クラシックカー展」。スマホが浸透して写真が撮りやすくなっていると考えて行った「私の岩手山 写真コンテスト」では、ご家族の遺作や昔の農作業風景を切り取ったモノクロ写真など300点もの応募があり、故郷の魅力を再発見するきっかけとなりました。思いついたら動くフットワークの良さと豊富な人脈は、博物館の魅力づくりにつながっているといいます。
● 被災文化財のレスキュー活動
岩手県立博物館では、東日本大震災の被災文化財修復作業も行っています。「古いものや剥がれたものを修復する専門家はいますが、海水に浸かったものを修復した経験のある専門家は一人もいませんでした」と髙橋館長。土砂や塩分でカビが生え異臭を放つ文化財を、一つ一つ手探りで洗浄・乾燥し修復。一刻を争うものは、学芸員が全国の友人知人に助けを求めました。「人とのつながりと自ら動く力の大切さを実感した」と髙橋館長。未だ16万点が手付かずのままですが、最後の1点まで修復し戻るべき場所へ帰す努力が続いています。
「この修復活動がなければ、館長の職を引き受けなかっただろう」と話す髙橋館長。岩手県立高田高等学校に赴任後、わずか一年で異動となり、東日本大震災が発生しました。「本当なら私も被災していたはずなのに、申し訳ない」という気持ちが膨らむなか、前館長から「館の運営と陸前高田市の被災文化財などの再生活動を継承してほしい」と声がかかりました。引き受けたからには役に立ちたいと、被災文化財修復事業の継続を国会議員に直談判するなど「高田への恩返し」に奔走しています。そして、悲劇を二度と繰り返さないために「東北発 博物館・文化財等防災力向上プロジェクト」の中核館として、台風や大雨などの災害を予知し、被災する前に文化財を避難させる仕組み作りにも着手。「画期的なものになるんじゃないかな」と髙橋館長も大きな期待を寄せています。
「まだまだ、やりたいことはあります」と髙橋館長。博物館での落語会「博語会」や東北初となる「ポケモン化石博物館」などアイデアは尽きません。「大人も子どもも、楽しいから来て、いつの間にか学んでいたというような、コミュニティの場として博物館の魅力を創りたい」と話します。博物館で見聞きし刺激を受け、何かに興味を持つきっかけになれば嬉しいとのこと。お散歩がてら博物館の階段を上り、好奇心の扉を開放してみませんか。
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