● 草履・わらぐつは愛情の証
昭和20年頃まで一般的だった草履(ぞうり)やわらじ。雪国に多い、わらで作られた長靴「わらぐつ」やわらじのつま先が覆われている「つまご」など地域に根付いた身近な存在です。そんな草履やわらぐつの作り方を故郷の遠野市で教え続けている佐々木俊一さん。「昔はどの家でも草履やわらぐつを作っていました」と当時の様子を教えてくれました。
佐々木さんが草履やわらぐつ作りを始めたのは16歳のとき。終戦から間もなく、物資が不足し大変な時代だったと言います。「食糧事情が厳しくて、学校を辞めておじいさんと炭焼きの仕事を始めました。当時は燃料に炭を使っていて、みんな必要にしていてね。鉄道で大量の炭を運ぶようになって、駅の中は炭と薪で溢れていました」と炭焼きの仕事に精を出す佐々木さん。しかし仕事場に行くのも一苦労だったそう。「山の仕事場まで1時間ほどかかったので、帰るころには履いていたつまごはボロボロになっていました。昔、おじいさんから作り方を教わっていたので、毎日寝る前につまごを作っていましたね。てんどが良い人(器用な人)で丁寧に教えてくれたので、自分も上手に作れるようになっていました」と次の日に履くつまごやわらぐつを作るのが佐々木さんの日課だったそう。毎晩、柔らかくしたわらを足に巻いて作ったと言います。そんな要領が良く器用な佐々木さんはきょうだいの分も作ってあげていました。「遠野は雪が深くて寒さも厳しいから、学校に行くためにわらぐつが必要でした。足のサイズに合わせて作ってあげたら喜んでくれて、濡れたわらぐつを学校のストーブで温めて乾かしながら大事に履いてくれました」と冬はわらぐつ、夏は草履と、佐々木さんの愛情が幼いきょうだいたちの足元を守り続けました。
● 大事な技術を広めたい
数年もたつと物資も足り、草履やわらぐつを履く人も減少。次第にわらぐつ作りをしなくなっていた佐々木さんですが、意外なきっかけで数十年ぶりに再開します。「息子からゴルフの親睦会に出す景品で良いものはないかと相談され、久々にわらぐつを作ることにしました。履く人はいないと思ったので、下駄箱に飾る小さいわらぐつを作ってみました」。その小さなわらぐつは参加者全員の目を引き大好評だったそう。この出来事を機に、わらぐつ作りを途絶えさせたくないと思うようになった佐々木さん。他の地域にも広めたいと積極的に活動するようになります。「誰もやっていないことをやらないと注目してもらえないと思ったので博物館に行き、展示されているわらぐつを何度も見学しました。昔、作っていたものは簡易的だったので殿様が履くような立派なものを作りたいと思い、じっくり観察し編み方を研究しました」と80歳を迎えていましたがわらぐつ作りの技術磨きに挑戦。しかし、つま先の細かく繊細な編み込みは複雑で簡単には真似できませんでした。「編み方を探したけど見つからなくて。だけど人前に出すものだからきちんとしたものを作らなくてはと思い、いろんな編み方を試しました。編み目が1カ所でも曲がると目立つので神経を使いました」と振り返ります。何度も試行錯誤を重ね、理想のわらぐつが作れるようになったのは約2年後。完成したときは本当に嬉しかったと話します。
その後、レベルアップしたわらぐつ作りを教えるため、各地で講師を務めてきた佐々木さん。3年前からは人気観光スポット、遠野ふるさと村の曲り家でわらぐつ作りの講師をしています。継承者育成のため1年かけた長期の講習会ですが、インターネットで佐々木さんのわらぐつの魅力を知り、遠野市以外にも盛岡や花巻、福島、東京、愛知など全国から通い続けている人が多いそう。「子どもや若い人、地域の人、たくさんの人に教えてと言われると嬉しくて。元気が続く限り教えていきたいです」と笑顔の佐々木さん。わらぐつへの思いと磨かれた技術は若い世代によって広がっていきます。