宮沢賢治と「岩手病院」

宮沢賢治と「岩手病院」

岩手の先人こぼれ話
岩手の先人こぼれ話シリーズ

宮沢賢治学会 前副代表理事 佐藤竜一さん

 盛岡市内丸の岩手医科大学一号館玄関傍(そば)に、宮沢賢治「岩手病院」の詩碑があります。1978(昭和53)年6月8日、岩手医学専門学校としてスタートしてから50周年となるのを記念して建てられました。

 賢治は盛岡中学校(現盛岡第一高校)を卒業してまもない1914(大正3)年4月、岩手病院(現岩手医科大学附属病院)に入院しました。肥厚性鼻炎(ひこうせいびえん)の手術を受けて発熱し、発疹(ほっしん)チフスの疑いもあったので、入院はおよそ1カ月に及びました。

 質屋兼古着商の長男として生まれた賢治は当時、進路で悩んでいました。進学したかった賢治ですが、父親の政次郎は賢治が後を継ぐことを望んでいました。そんな煩悶(はんもん)の中の入院でしたが、悪いことばかりではありませんでした。賢治はある看護婦に思いを寄せることになったのです。「岩手病院」はそんな日々を詩にしたもので、賢治の初恋といわれています。

 岩手医科大学を創設したのは、盛岡藩士の子弟として生まれた三田俊次郎です。俊次郎は岩手医学校、東京帝大医学部を経て、1891(明治24)年、盛岡市加賀野に眼科医院を開業します。その後、1897(明治30)年に総合病院として岩手病院がスタート、今に至っています。

シニアズ2024年4月号「先人のこぼれ話」 宮沢賢治「岩手病院」の詩碑
宮沢賢治「岩手病院」の詩碑

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