日本を代表する文学者のひとり、島崎藤村(しまざきとうそん)(本名:島崎春樹)の恋人・佐藤輔子(すけこ)は1871(明治4)年6月15日、盛岡に生まれました。異母兄の昌介(しょうすけ)は札幌農学校(後の北海道帝国大学)第一期生、北海道帝国大学初代総長を務めた人で、新渡戸稲造の親友としても知られています。
輔子は1888(明治21)年、東京・九段坂上にあった明治女学校に入学しますが、高等科一年生の時に、英語教師をしていた島崎藤村と出会います。藤村は輔子に思いを寄せますが、輔子には許婚(いいなづけ)がいて、この恋は実りませんでした。
傷心の藤村は明治女学校を退職し放浪の旅に出ますが、輔子を忘れることができず、1893(明治26)年一関を訪れます。一関は輔子が少女時代を過ごしたところだったのです。
ゆかりの地には、藤村の文学碑が建てられています。自伝的小説『春』最終章からとったもので、次のように刻まれています。
「あゝ 自分のやうなものでも どうかして生きたい」