岩手出身の柔道家として名をはせた三船久蔵は1883(明治16)年4月21日、現在の久慈市に生まれました。幼少の頃からわんぱくだった三船が柔道に熱中し始めたのは、仙台の第二中学校(現 仙台二高)に入学してからのことで、二高(現 東北大学)の試合を見学したことがきっかけでした。当時の第二中学校には柔道部がなかったので、三船は二高の道場に通って技を修得しました。
その後三船は上京して嘉納治五郎が創立した講道館に入門、年中休まず稽古して腕を磨きました。そうした努力が実り、1945(昭和20)年には柔道界最高位の十段になり、「柔道の神様」といわれるまでになりました。昭和30(1955)年には久慈市の名誉市民第一号として顕彰され、1961(昭和36)年には武道家として初めて、文化勲章の栄誉に浴しています。
1964(昭和39)年の東京オリンピックの際、柔道が正式に競技種目に認められ、オランダのアントン・ヘーシンク選手が無差別級で金メダルを獲得すると、運営委員として競技を見ていた三船は「ヘーシンクは講道館の弟子です」と言って喜んだといいます。久慈市にある三船十段記念館では三船の生涯や業績を詳しく紹介しています。
